研究者は、研究倫理について学ぶことが義務付けられています。特に、科研費に応募する場合には所属機関が提供する研究倫理の学習コースを修了しておくことが、どの大学でも必須とされています。
研究倫理に関しては、文科省の研究活動における不正行為への対応等に関するガイドライン(2014年8月)というものがあります。なぜ毎年、何時間を時間をかけて動画を見させられるのという不満も出そうですが、毎回思い起こしてねという趣旨のようです。
倫理講習が大事なのはわかりますが、その一方で、エラーバーを手作業て押し込むなど、明らかな不正行為と思われるものが野放しにされていたりするので、研究倫理講習をこうやってガチガチに強制する(動画を早送りで見たりできない!)ことにどれほどに意味があるのだろうという疑念も頭をよぎります。
不正行為を働いた人間を厳罰に処すのでなければ、いくら講義を受けさせたところで不正行為をする人はするのでしょう。東大医学部の件は、研究コミュニティからの「吟味」も「批判」も全く受けませんでした。何しろ、東大が報告書など重要なものを何も公開せずに、単に不正はなかったのでそれ以上説明しないといって幕引きを図ったからです。毎年毎年これだけ研究倫理、研究倫理と言っておきながら、文科省が東大に資料を公開させないというのは自分には大きな驚きでした。いや、驚き以上で、大きなショックを受けました。
さて、研究不正は実際のところかなり狭く定義されていて、ねつ造 fabrication、改ざん falsification、盗用 plagiarismの3つが、「特定不正行為」として定義されています。不正行為がそれらだけに限定されるわけではないとされていますが、実質、罰則を伴わないのであれば、あまり意味がないようにも思われます。それら以外のグレーゾーンの行為はQuestionable Research Practice (QRP)などと言われることもあります。
QRPに属するものとして、二重投稿、オーサーシップの不適切さ、実験データの管理のまずさ、研究広報の不適切さ、研究指導の放棄などが挙げられることが多いようです。
研究不正を疑われた人の常とう手段は、「実験ノートを無くしました。実験データが入ったPCが壊れました。」というものです。実験ノートが存在しなければ、不正の事実も証明できないので、どうしようもありません。
研究広報に関しては、かなりやばいものでも誰も不正とまでは言わないのでやっかいです。
ねつぞう、かいざん、とうよう、の頭文字をとって「ネカト」と呼ぼうという呼びかけもありますが、研究者の日常会話の中で「ネカト」という言葉を聞いたことは今のところありません。まだあまり普及していないようです。研究倫理講習の講師の先生は、「ネカト」という言葉を紹介したりすることがあるので、そのうち定着するでしょうか。
- 「白楽の研究者倫理」は、研究者の事件データベースを構築し、外国のネカト・クログレイ・性不正・アカハラとそれらの事件を解説する通称「白楽ブログ」または「ネカトブログ」です。
特定不正行為の境界はちょっと難しい部分があります。発表論文に不正があれば不正ですが、未発表データに不正があっても、文科省の今のガイドラインだと特定不正行為とは認定されません。これは国によっても判断の仕方が異なると思います。日本で特定不正行為に手を染めた人は、外国ではルールが異なる可能性があるので要注意。
未発表データにおける研究不正の取り扱いは、とりあえず「判例」というべきものが日本にもあります。
- 閉鎖研究における不適切な研究行為への対応について(JAXA)
- https://www.jaxa.jp/press/2023/01/20230111-2_j.html 理事長 山川 宏 ⇒厳重注意 副理事長 鈴木 和弘 ⇒厳重注意 理事(有人宇宙技術部門担当) 佐々木 宏 ⇒訓告
- JAXA理事長ら役員3人処分 古川飛行士代表の研究「不適切」問題 玉木祥子2023年1月11日 18時30分 朝日新聞デジタル記事
- JAXA、古川聡飛行士をデータ捏造の監督責任で戒告処分…今年のISS滞在は変更なし 2023/01/12 06:30 読売新聞 古川聡宇宙飛行士(58)が研究実施責任者を務めた宇宙医学実験でデータの書き換えや 捏造ねつぞう があった問題で、宇宙航空研究開発機構( JAXAジャクサ )が古川氏を戒告の懲戒処分にしたことが11日、わかった。古川氏の処分についてJAXAは「個別に公表する対象ではない」としているが、12日に本人が記者会見を開いて自ら説明し、謝罪する見通しだ。‥ 一方、JAXAは11日、書き換えに関わった男性研究員(53)について「研究全体の科学的価値を 毀損 した」として、古川氏よりも重い停職2週間の懲戒処分にしたと発表した。
この事件は、何しろ日本の宇宙飛行士が主導する研究における研究不正だったので、多くの注目を浴びましたが、処分を公表しないなどJAXAが宇宙飛行士を守ろうとする態度が印象的でした。
研究不正も、特定不正行為には該当しないが悪質なものがいろいろ出てきています。自分が驚いたのは、査読システムの裏をかいた研究不正です。
学術誌Tumor Biologyに掲載された107編の論文について、論文を支持する査読が偽造されていたことが発覚し、同社は4月にこれら全ての掲載を撤回した。
https://www.natureasia.com/ja-jp/ndigest/v14/n9/中国がフェイク査読取り締まりを強化/88452
中国は、倫理に関して研究者の質の差が大きいと思いました。ところが、同じようなことは日本でも起きていたようです。
●●教授側は論文を学術誌に投稿する際、専門分野が近い▲▲教授を査読者として推薦。査読者に選ばれた橋本教授は、本来は自ら作るべき論文の疑問点などを指摘する「査読コメント」の作成を、著者の●●教授側に依頼した。●●教授は研究室の教員らに指示してコメントを作成し、▲▲教授に送った。その結果、これとほぼ同じ内容のコメントが学術誌から届き、●●教授はこれに回答して査読を通り、論文が掲載された。本来は第三者が行うべき査読を「自作自演」したことになる。
福井大教授の査読偽装、調査委「不適切」と認定、撤回を勧告 鳥井真平 柳楽未来 毎日新聞 2022/12/18 18:00
- 福井大学が論文6本の「不適切」認定 教授の査読関与で調査委、内容は問題なしと判断 2022年12月19日 午前6時55分 福井新聞 福井大学の60代女性教授が、国際学術誌に投稿した自分の論文の「査読」に関わったとされる問題で、福井大の調査委員会が、女性教授らの論文計6本で「不適切な行為」があったと認定したことが12月19日までに分かった。
- 福井大教授が査読操作「研究者倫理から逸脱した行為」 2022年12月20日 (火) 小川洋輔(m3.com編集部) 調査委は、女性教授側がコメントを作成した行為は、「研究者倫理から逸脱した行為で不適切」と認定した。一方で 捏造ねつぞう や改ざんなど文部科学省が規定する「特定不正行為」には該当しないとして、女性教授らの名前を非公表とした。
- 「こんなことが起こるのか」 国立大舞台に査読の「自作自演」の背景 有料記事 2022年12月23日 18時30分 朝日新聞デジタル記事 4大学の発表などによれば、関わった研究者は、元職も含めて国立大学の教員6人だ。深い知識と高い倫理観が求められる立場にありながら、査読の重要性に対する認識が欠けていた。6本の論文のうち5本の査読に関与したとされる千葉大の教授は「忙しかったので、つい」コメント案の「代筆」を依頼したという。一方の福井大教授は「高名な先生でお忙しいことは分かっていたので、少しでも査読にかかる労力を軽減すべき」だとして、不当性について深く考えずに共著者の教員らへコメント案の作成を指示。2人が回答したという。1人は研究倫理上の問題があるという認識が乏しく、もう1人は教授からの指示を拒否することが難しかったという。
- 専門領域「小さいコミュニティー」で査読、不正リスクも内包 2022年12月21日 (水) 小川洋輔(m3.com編集部)
- 査読における不適切な行為の防止について(通知)(令和5年11月14日)
査読がらみといえば、いわゆるハゲタカジャーナルのような査読がユルイという問題がメインかと思っていましたが、いろいろなバリエーションがあるんですね。
- MDPIはハゲタカジャーナル?その評判
- FRONTIERSもハゲタカジャーナルだと?!
- FRONTIERSがハゲタカ視される理由
- Hindawi、MDPI、Frontiersへの掲載論文は論文業績としてカウントせず
特定不正行為として捏造と改竄が分けられていますが、実際には、境目があるわけではありません。実験してグラフを描いたが有意差は出なかった。なのでエラーバーを押し下げて、バラつきが少なかったように見せかけて有意差が出たことにして論文発表しました。そんな場合には、一応何かしらの実験をしていたので「改竄」になると思いますが、ふつうは有意差が出なかったら論文発表できないことが普通なので、これは「捏造」と考えたほうがむしろ自然です。
特定不正行為の3つ目が「盗用」ですが、盗用は他人の論文のコピペだけでなく、自分の過去の論文をコピペしても盗用と判断されるので要注意です。出典を付せば盗用にならないので、うっかり出典を付すのを忘れるのは不正とみなされる恐れがあるので要注意です。
- 秋篠宮家長男めぐる「皇室特権」「盗用疑惑」との週刊誌報道をめぐる混戦 篠田博之月刊『創』編集長 2022/2/27(日) 7:01
- 悠仁さま「研究者への道」に暗雲…海外メディアが大きく報道した“作文引用”問題の波紋 2022年3月4日 06:00 女性自身
- 2023.11.07 03:24 2022.02.16 16:21 社会 悠仁さま、入賞作文で盗用疑惑の報道…秋篠宮家「皇室利用」問題、筑波大附属高・進学も 文=Business Journal編集部 ニュースサイトで読む: https://biz-journal.jp/journalism/post_279949.html Copyright © Business Journal All Rights Reserved.
- 悠仁さま作文剽窃問題その後の主催者HPに苦笑 今後は図工のスキルを武器に東大推薦合格を狙うしか… 2022年8月30日11:09 PM Etcetra Japan Blog
- 紀子さま“悠仁さまの教育係”の女性職員が退職…囁かれる“作文盗用騒動”での更迭説 2022/06/09 06:00 『女性自身』編集部
- 北九州市立文学館にも意地がある…? 悠仁さまの剽窃騒動がきかっけで作文コンクール募集チラシがイイ形に変わる 2023年3月12日8:00 PM Etcetra Japan Blog
- 秋篠宮悠仁 Hisahito Akishinonomiya et al.,「赤坂御用地のトンボ相」(2023).
研究不正の中には、利益相反に関するものがあります。一番有名な事例はディオバン事件でしょう。
- 製薬会社ノバルティス社の降圧剤ディオバン(バルサルタン)臨床研究データは捏造
- バルサルタン(製品名:ディオバン)臨床研究にノバルティスファーマは会社ぐるみで関与していたのか?
- Diovan臨床研究の滋賀医科大SMARTでも不正か
研究不正が刑事事件として扱われることはあまり多くない印象です。研究者の感覚からしたら凶悪殺人事件なみの悪質さでも、法的には裁けないことが多いからでしょう。しかし、一線を越えた行為に対しては、刑事告発が行われる可能性があります。
- 東工大生命理工 元教授が1900万円を不正使用
- 東工大生命理工(元)教授が研究費を私的流用 東京工業大学大学院生命理工学研究科の教授(既に定年退職)が研究費の不正使用により逮捕されました
不正の告発は原則、顕名で、どの研究機関にも通報窓口が設置されています。また、文科省のガイドラインでは最近は匿名であっても受け付けるようです。実際、東大医学部の不正を告発したのは、Ordinary_researchersという匿名集団でした。
通報者の権利は守られるということが謳われていますが、実際のところ、不正疑惑を大学側が揉み消すような場合には、通報者に不利益が生じないという保証は常識的に考えるとどこにもないのではないかと思います。倫理講習のテキストを真に受けると大変なことになる危険があります。研究不正を告発することは、自分の研究者生命を犠牲にする可能性があるのです。
大学教授が大学内の研究不正を告発した場合ですら、学長に力で解雇されてしまうというこれ以上ないくらいの大きな不利益を被ることがあるわけですから、倫理講習テキストで説明された内容を建前を真に受けるのは大変危険だと思います。
研究不正の告発を行うのは本来、諸外国のように専門家がそれを職業として行う公的な機関に対する通報として、公的機関が強権を発動して調査・調査結果の公開をすべきでしょう。
参考
- Office of Research Integerity (US)
- 海外(特に米国)の行政機関における研究不正への対応状況等
- 匿名Aによる論文大量不正疑義事件(ウィキペディア)
- Ordinary_researchers(ウィキペディア)
- Pubpeer
- 白楽の研究者倫理
- Science Integrity Digest A blog about science integrity, by Elisabeth Bik, for Harbers-Bik LLC. Support my work at Patreon.com/elisabethbik
人を対象とする研究の場合、研究内容によっては、個人情報の取り扱いに配慮が求められることがあります。現在では、個人情報を積極的に研究に活用しようという時代の流れがあるため、研究者が学ぶべき個人情報の取り扱い方も多少複雑になってきているので要注意です。
近年、情報化の進展や個人情報の有用性の高まりを背景として、官民や地域の枠を超えたデータ利活用が活発化しており、現行法制の縦割りに起因する規制の不均衡や不整合(法の所管が分かれていることに起因する解釈上の不均衡や不整合を含む3)がデータ利活用の支障となる事例が各所で顕在化しつつある。
個人情報保護制度の見直しに関する最終報告 令和2年12月 個人情報保護制度の見直しに関するタスクフォース
個人情報を活用した学術研究が活発に行われるように、個人情報保護法には学術研究に関連した「例外」が盛り込まれているそうです。
利用目的による制限(個情法第16条)及び要配慮個人情報の取得制限(個情法第17条第2項)については、研究活動の自由及び研究結果の発表の自由を直接制約し得る規律であり、例外規定を置かないと類型的に実施困難な研究活動が生じると想定されることから、「学術研究機関等が学術研究目的で個人情報を取り扱う必要がある場合」を例外とする趣旨の規定を置くことが適当である。
個人情報保護制度の見直しに関する最終報告 令和2年12月 個人情報保護制度の見直しに関するタスクフォース
- 個人情報保護制度の見直しに関する最終報告 令和2年12月 個人情報保護制度の見直しに関するタスクフォース(PDF)