東大医論文(2)行動なき言葉は無益である

      2018/06/05




東大医学部のフェイク論文がなぜ不正とされないのか? (2)行動なき言葉は無益である

東大医学部のフェイク論文を、なぜ東大は研究不正と認定しないのでしょうか?不正でないと判断するのであれば、その根拠を、各々の論文の図ごとに説明すべきです。

「東京大学の科学研究における行動規範」(PDF)には、

研究活動について透明性と説明性を自律的に保証することに、高い倫理観をもって努めることは当然である。

広く社会や科学者コミュニティによる評価と批判を可能とするために、その科学的根拠を透明にしなければならない

十分な説明責任を果たすことにより研究成果の客観性や実証性を保証していくことは、研究活動の当然の前提であり … その責任を果たすことによってこそ、東京大学において科学研究に携わる者としての基本的な資格を備えることができる。

など、読んでいて全くその通り!と叫びたくなるような良いことが書いてあります。まさか、こんな立派なことを言っている大学が不正調査報告書を公開しないなんて、普通は想像できませんよね。

「行動を伴わない言葉は無益である」

ギリシャ時代から言われてきましたが、まさにこのことかと思います。科学がこれほど進歩したというのに、人間自身は2000年以上たってもちっとも進歩してません。東大は、説明責任を果たさない奴は科学研究に携わる資格なしと自分で言っているわけですから、科学研究を止めるのか、説明責任を果たすのか、どちらかを選んで欲しいものです。運営費交付金とか科研費とか全部合わせたら、年間で軽く1000億円を超えるお金を使っているのが、東京大学です。納税者に対する説明責任が、おおいにあります。

文科省も、「研究活動における不正行為への対応等に関するガイドライン」の中で、

研究者間相互の吟味・批判によって成り立つチェックシステムが不可欠である。

と言っています。大学の監督省庁としての役割をもう少し果たして欲しいところです。

日本学術振興会の「研究活動の公正性の確保及び適正な研究費の使用について確認・誓約すべき事項」でも、

国費による研究費支援が増加する中、国費の効果的活用の意味でも研究の公正性の確保がより一層求められる。

とか、

研究成果の発表とは、研究活動によって得られた成果を、客観的で検証可能なデータ・資料を提示しつつ、研究者コミュニティに向かって公開し、その内容について吟味・批判を受けることである。

などと書いてあります。どれもこれも、実に良く練られた力強い文章で、研究者であれば、読んでるだけで身が引き締まる思いがするはずです。東大の現執行部が不正調査報告書を公開しないことは、東京大学自身の行動規範や、こういったガイドラインに真っ向から反しています。実践されない規範なんて、あるだけ無駄です。無駄で済むならまだしも、国民を欺いています。

学術誌に掲載された論文には、著者名や所属が明記されており、報告書で墨塗りする必要がある個人情報とは言えないでしょう。発表論文の実験結果や実験方法に関して読者が疑問を持てば、論文著者らに対して気軽に質問し回答を得るというのは、研究者コミュニティにおいては当たり前のことです。不正が疑われた図表の作成がどのように行なわれたのかは、研究者みんなが知りたいことですし、その調査結果は隠すような種類のものではありません。調査報告書を公開することは、研究者コミュニティ内の通常のコミュニケーションとなんらかわりません。また、調査内容が公表されたからといって、論文著者や所属機関が不利益を被ることないでしょう。もし不利益が生じるとすれば、それは、データ捏造が露呈するケースくらいではないでしょうか?

不正が認定されないときには調査内容を公表しなくていいというなら、研究機関が組織的に隠蔽した場合にはデータ捏造がやりたい放題になってしまいます。NATURE等の一流誌に論文を掲載して、その業績により何億円もの研究費を獲得するという、悪魔のような循環が断ち切れなくなるわけです。これでは日本の科学研究の進展が著しく阻害されます。性善説を捨てようという議論がありますが、研究者だけでなく、大学の執行部だって不正を働く可能性があるという観点で制度をつくっておかないと、大変なことになります。岡山大学で研究不正を告発した教授二人が大学の学長によって解雇されるというとんでもない事件が起きてるのが、いい例です。大学執行部の公正さを前提とする制度は、欠陥があるのです。

公開するのが当然の最終報告書を東大が公開できない理由があるとしたら、それは、やっぱり研究不正があったからなんじゃないの?って考えるのは自然なことでしょう。なぜなら、「東大医学部不正隠蔽仮説」を採用すれば、報告書の開示された部分の日本語の支離滅裂さとか、そのほか、あらゆる矛盾した状況を、矛盾なく説明できてしまうのですから。全ての現象が無理なく説明できる仮説を、当面の真実として受け入れるのは、科学的な態度です。

2016年8月に告発されたというのに、その後、論文著者らが反論も訂正も論文撤回もせずに2年近く経過しています。単なる図表の取り扱いミスだったら、普通何らかのアクションがあるのが当然でしょう。昔STAP細胞騒ぎで世の中がひっくり返ったときは、疑われた調査委員長のラボは実験ノートをすぐさま公開して、実験がきちんと行なわれていたことを研究者コミュニティに示しました。あれは模範的な行動だったと思います。論文の図が示す値はデタラメですと東大が自分で認めた以上、最低限、速やかな訂正か撤回がないのはおかしいのではないでしょうか?

ネイチャーなどの雑誌社も、データが正しくないと大学が認めた論文をいつまで放置するのでしょう?論文著者が説明責任を果たさないのであれば、編集部で撤回するのが、筋でしょう。それとも、NATUREは研究者のための雑誌ではなくて、お金儲けのための存在でしかなかったのでしょうか?東大も雑誌社も、放置プレイはやめてほしいものです。

万が一、現在の東大の執行部の人たちが東大医学部の不正行為を知りつつ隠し、疑惑論文の論文業績で新たに研究費を獲得しているのならば、それは詐欺行為というべきでしょう。実際、海の向こうの話ですが、研究不正を隠蔽したデューク大学は捏造研究者とともに訴えられていて、6億ドル(~600億円)以上の支払いを求められる訴訟になっています(参考:bna.com)。大学首脳陣が研究不正を隠蔽した場合、大学が窮地に陥りますから、東大の現執行部の責任は重大です。

行動を伴わない行動規範は欺瞞です。今すぐ、「東京大学の科学研究における行動規範」の言葉を実行に移してもらいたいと思います。

⇒ 東大医論文(3)国民の知る権利を蹂躙する東大

 

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