博士課程の学生に教授は指導してくれる?

研究室主催者(Principal investigator; PI)の大学教授や准教授が博士課程の大学院生を指導することが当然かどうかということに関して言うなら、それは大学教員の責任として当然に決まっていると自分は思います。しかしながら、現実はどうかというと、指導をしてもらえず放置された大学院生が途方に暮れるということが全く珍しくありません。

研究が進まずに大学院を途中でやめることになったり、多少のデータは出せて大学に提出する博士論文はなんとかまとめたけれども肝心の論文が出せずじまいになったり、適切な指導を受けられずに研究から離れていく大学院生は少なくないと思います。

教授の考えと学生の期待が一致しなくて不幸な状況が生じることが、残念ながら少なからずあるのです。どこまで指導するか、どこまで指導されたいかという両者の思惑がかみ合わないのです。

大学指導教員と博士課程大学院生との考えの乖離

ショレムは、アダマールが誰かから論文のテーマと指導を求められて激怒しているのを目撃したことがあると話していた。「とんでもない男だ。自分でテーマを見つけられないやつが、よくも博士号をとろうなどとかんがえられたものだな!

引用元:ベノワ・B・マンデルブロ『フラクタリストーマンデルブロ自伝ー』早川書房2013年 242ページ

大学院生は博士研究のテーマを教授からもらえるものなのかどうかは学問分野にもよると思います。ラボの研究が一定の方向に向かっている場合には、必然的に生まれるテーマを大学院生に割り当てられることはよくあります。

しかし、PIが提案した研究テーマがそのまま簡単に結果に結びついた例を自分は見たことがありません。大抵、教授に貰ったテーマはうまくいかず、試行錯誤する過程で自分なりのテーマを見出すことが多いように思います。

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指導する・しない問題の存在

指導する・しない問題は言葉のあや?

大学院博士課程で学べること

大学院博士課程における研究とは

大学院というところ

自分の大学院生時代はというと、大きなラボで中ボス(助教)が実際の指導にあたっていたので、教授と研究の議論をする機会はほとんど全くありませんでした。

アメリカに留学したときの大学院は、大学院生の進捗状況をチェックする仕組みが制度的にあったようです。まず5年間の博士研究の研究計画をしっかり立てて提出したり、毎年(?)学部内の発表会で研究進捗状況・成果を発表させられていました。今では日本でもそういう仕組みを取り入れている大学はあるようです。

大学教員からの指導がどのくらい受けられるかは教授の性格・方針次第

大学院教育がどのようなものになるかは、指導教員(教授や准教授)の性格や教育哲学によりけりです。学生を徹底的に鍛えようとする意欲に満ち満ちた人もいれば、教育に対する責任はあるけれども学生の個性をみながらリラックスした雰囲気で学生に接する人もいたり、あるいは、学生に対し全く何の興味も示さない人もいますし、国際学会の招待講演で飛び回っていてそもそもラボにほとんどいない人もいます。一方、毎週ミーティングを開いて学生に実験ノートを持ってこさせて濃密な研究の議論をする人もいます。毎日学生の実験結果をチェックする指導教員もいるかもしれません。

ほぼ毎日夜10時ころ沼先生が研究室へおりてこられ,
きょうの実験は如何でしたか?
と質問され,わたしがデータを説明すると,
では明日はどこそこまで進みますね。」,
なにかミスがあると,
なぜすぐやり直さないのですか。
といった調子でした。 (医 化 学 教 室 と 私)

博士課程の大学院生にお勧めしたい日頃の態度

大学院教育における大学教員の責任と役割

時代とともに変わる大学教員の役割

 

世界の博士事情

大学教授は助教の指導もすべきか

大学教授は助教の指導もすべきかといえば、それは助教の能力しだいだと思います。教授としては論文を出してもらわないと困るので、足りていない部分があれば手助けをするのは当然でしょう。ラボから論文が出なくても気にしない教授がもしいたら、指導することはないかもしれません。

参考