Daily Archives: February 26, 2017

リジェクトへの怒り・落胆【論文を出す力】

研究者には論文を書く能力が必要ですが、それだけでなく、論文を世に出す(=アクセプトに漕ぎ着ける)力も必要です。両者は重なる部分もありますが、質的に全く異なります。論文を書くうえで重要なのは知性ですが、論文を出すときに重要なのはリジェクトされたときの落胆、怒り、失望、疑念などの感情をコントロールする力、揺るぎない信念、状況を見極める客観性や判断力です。

リジェクトに対する心構えが出来ているだけで、受けるダメージ及び回復力が変わってくると思いますので、これから論文を出す人の参考になりそうな記事を紹介しようと思い立ちました。また、結果だけを見ると、みんな順調に論文を通しているように思えるかもしれませんが、実際には、他人には想像がつかないような苦労の末になんとかアクセプトまで漕ぎ着けたという場合がほとんどです。そんな論文出版の苦労を分かち合える記事を、以下に紹介します。

折れない心

何年もかけてやってきたプロジェクトの成果が、辛辣なコメントともにリジェクトとなった場合は、自分の研究者としての能力を否定された気分になり、相当なダメージを受けるが、折れないタフな心をもってアクセプトになるまで戦い続けるしかない。 …

散々追加実験を頑張った上での再投稿にも関わらず、やはりリジェクトとなった場合は時間的にも精神的にも相当ダメージは大きく、また半年〜1年前にもどって別のジャーナルにいちから投稿し直しとなる、、、 (有名ジャーナルに論文が掲載される意義 IMAYOSHI LAB 2013年11月22日)

最近、友人の一人の論文が、Natureにacceptされたのですが、それが実にすさまじい闘いだったのです。彼が最初の論文を書き上げたのが、3年ほど前。まず、Natureに送りました。Editorial kickにはならず、レビューに回りましたが(トップジャーナルでは、レビューに回るだけでも凄いのです)、rejectされました。レビューアーからのコメントがあったため、追加実験を行って全てのコメントに答えた上で再投稿した。しかし、結果はやはりreject。そこで、彼はScienceに投稿しました。Scienceでもレビューに回りましたがreject。これだけでも凄すぎるのに、これからが彼の凄いところでした。Scienceで得たコメントで指摘された点を改善し、なんと再びNatureへ投稿。再びレビューに回るも、reject。再実験を重ねた上、レビューアーのコメントに答えて、Editorへ抗議。その後、結局、acceptされたのです。(Never give up! Alltid Leende April 22nd, 2013

まず青い方からこの表をみる。サイエンスの689というのは、最初の投稿先がサイエンスでそのままサイエンスに採用された論文が689報あるということである。サイエンスに蹴られてnatureに採用されたのが82報あるということ。しかしcell誌にはサイエンスリジェクト論文は一つも載らなかった(natureリジェクト論文も載っていない)。(サイエンスに蹴られた論文がネイチャーに載る・・・ がんの分子腫瘍学・遺伝学 2012年10月22日)

 

批判を受け止める力

Coping with publication rejection is a key skill for any academic. It can require emotional fortitude, an ability to profit from criticism, and, sometimes, negotiating skills. Many papers in the scientific literature were initially rejected, often sparking vigorous scientific discussions before their eventual publication, whether in the same journal or a different one. (Riding Out Rejection By Kate Yandell The Scientist March 1, 2015)

 

リジェクトされた時にやるべきこと

一度リジェクトされただけであきらめてしまうのは、マラソンを走りながら、ゴールのわずか数センチ手前であきらめてしまうようなものだ。もし著者が掲載に強い意志を持っているならば、次に取るべきステップは、リジェクトのレターにあるコメントすべてを正確に理解することである。 (原稿がリジェクトされた時の対処法 根拠と経験に基づく見解 Karen L. Woolley, PhD; and J. Patrick Barron, BA. CHEST 2009; 135:573-577. Ronbun.jp 大鵬薬品工業株式会社)

論文を書き上げることとそれをアクセプトさせることには、恋愛と結婚ほどの違いがある。論文を書き続ける限りリジェクトとのつきあいは切れないと 思った方がよい。私の場合、二本目の論文がリジェクトされて、それはそのままお蔵入りとなった。思えばその時、それから合計 33 回もリジェクトされるようになるとはちょっと想像していなかった。最初のリジェクトの時には、自分の人格が否定されたようでずいぶん落ち込んだ。もちろん 今でも、リジェクトされたときのショックは大きい(とくに、一週間に二度リジェクトの手紙をもらったときなど)。しかしものは考えようで、リジェクトされたとは思わないようにしている。つまり、どこかの大先生に論文を読んでもらったのだと思うことである。たいていの場合、その論文のどこがいけないのか指摘 が付いてくる。それらを参考にして論文を改訂し、別の雑誌に投稿すればいいだけの話だ。(これから論文を書く若者のために 改訂第二版 1999.1.21. ver. 2.1 酒井 聡樹 )

 

リジェクトという名の授業料

論文に限らず、拒絶されるのは自分を見直す良い機会だと思います。

研究者、とくにチームのリーダーは、人から学ぶ機会が少なくなるものである。レビューアーのコメントの中には、書いた本人が気づかなかったような議論がなされていることがある。そして、論理の展開に落とし穴があることが指摘されている。そのような議論をクリアするために、追加実験を行い、実験結果を見直すと、新しい発見が生まれてきたことを経験している。また、確実な論拠を得て、論理の展開がしっかりしたものとなり、論文の価値が高まっていくのを実感することがある。レビューアーの中には、ここまで結果を出せば論文になるよと、到達目標を提示してくるケースがある。このような到達目標の多くは、研究者にとり、難度の高いものである場合が多い。「それができれば苦労しない」というわけである。しかし、ここで一念奮起をしてみると、目標を絞っているものなので、意外と短期間にブレークスルーしてしまうことがある。そうなるとレビューアーさまさまである。このような「良い」レビューアーは、まさに教師である。リジェクトという高い授業料を払う価値があるものでもある。査読に関する理想と現実

 

15回リジェクトされた論文

Lynn Margulis (1938-2011)

Her ground breaking endosymbiotic theory paper, which suggested that eukaryotic organelles have evolved from the symbiosis between multiple prokaryotic organisms, has been rejected by no less than 15 journals, until it was finally accepted by the Journal of Theoretical Biology. Prof. Margulis kept submitting her revolutionary paper again and again because she knew she’s right and believed in her hypothesis. (“I am sorry to inform you” or how to deal with paper rejection. labguru.com December 03, 2012 By Chen Guttman)

 

リジェクト:苦難の始まり

最初の投稿から、すでに8ヶ月が経っていた。その後、別の雑誌に投稿し直してレビューされている最中に、ほんの少しだけ僕たちの仕事に似た論文が別の雑誌に出た。僕はその論文にはすぐに気がついたが、内容は一見似ていたが完全に違っていたので、全く影響はないだろうと思っていた。しかし、それは甘かった。(苦労の論文 2005年12月01日 ハエが星見た maplefly.exblog.jp)

 

アクセプトまでの苦難の道のり

それはもうここでは語り尽くせないほどの苫難の道のりでした。先ほどのCCS と油田の 研究は最初Natureに投稿しましたが,案の定, 3 日後にEditor reject されました。 … このEditor rejectを教訓にcover letterを徹底的に改定した後,次に投稿したのが Scienceでした。… 3 名のReviewer に回った結果のrejectでした。… わずか1 週間程度で必死に論文の改定と原稿よりも分厚いrebuttal 文書を作成してEditorに送り付けた結果, 再審査が 認められました。… Editor からの 返答は追加3名計5 名!のReviewerによる審査の結果, ポジティブが2 名,ネガティブが2 名, 超ネガティブが1名でのrejectでした。Reviewerが5人というところも驚きでしたが,超ネガティブなReviewerのコメントにはさらに驚かされ,A4 紙5枚に渡るコメントを頂き,最後に「まだまだ言いたいことは沢山あるが, もう疲れた」と書き添えられていました。… 半年間にも及んだScieneとの戦いもここで幕切れとなりました。 その後,仕方がないので次はPNASに出すかという気持ちが完全に間違いでした。原稿に「Scienceでいい所まで行ったんだぞ」といううぬぼれが出ていたのだと思います。あっさりとEditor rejectされました。… それからは気を入れなおしてNature Geoscienceを経由してNature Communicationsに投稿し,最終的に掲載が決定したのはNatureに投稿してから1 年半が経過していました。実のところ Natureにreject された時にNature Communicationsへの投稿を推薦されたのですが, この時に投稿してもアクセプトされなかったと思います。Scienceとの戦いで論文のクオリティ ーが上がったことは間違いなく,そう思うとあの時の戦いは無駄ではなかったと思っています。(CiNii地圏微生物学のおはなし〜論文投稿の厳しさと優しさ〜 Japanese Society of Microbial Ecology 微生態和文誌30巻1号)

 

2年にわたるNatureとの戦い

そこで、満を持して再投稿。今回はいけるんとちゃうか、という強い期待。そして……。平成26年1月16日、ドキドキしながらNatureからのメールを開けたところ、ああ3回目のreject。机の上に倒れ臥した。しばらく起き上がれなかった。… ほぼ倒れそうになりながらも、追加実験を行い、再投稿してみたが、「Yasu、もうリバイスももう4回目だし、Natureとしてもこれ以上この論文を扱うことはできない」とEditorから最終通告。再度、翻意を促すメールを送ってみたが、残念ながらゲームセット。2014年3月14日、2年にわたるNatureとの闘いが終わった。正直言って、Reviewerに恵まれなかったのが痛かった。… 3回目のリバイスの時に、laser ablation実験データについて、異なる記載をしていたらReviewer 3は追加実験を求めなかったのではないか。そもそも、最初の投稿時に、もっとデータを付けてから投稿するべきではなかったのか。色々な思いが胸をよぎる。YASUの呟き No. 10 激闘の果てに

 

論文投稿の苦しみ

論文投稿の苦しみ   2003年の冬頃だったと思いますが、ずっと研究してきた成果として、Natureに投稿しました。… 私の論文は、投稿から1週間以内にリジェクトされました。… 私の論文は、2-3週間かけて文面を書き換えて、Scienceに投稿しました。残念ながら、こちらも1週間でリジェクトされました。次は、順番通りCellです。Cellはフルペーパーなので、Figureの数量を増やしたり、章立てを見なおしたりといった大改訂が必要となり、投稿準備に数週間を要しました。この時点で既に季節は春を迎えていました。Cellへの投稿は、査読され、ネガティブコメントは多かったもののリバイズの機会まで辿り着きました。… この結果が来たのは既に初夏になっていました。そこから何としても論文を通したいと、追加実験を行うものの、狙ったデータが思い通りに出ません。… 苦し紛れに論点を変え、結論をやや弱くして再提出しました。残念ながらCellへの再提出もリジェクトとなりました。Cellに投稿した日から半年、Natureに出してからは1年の時がかかっています。当時の私は、研究の本質は何も進歩しないにも関わらず、1年経っても論文が通らないという日々に葛藤していました。「もうブランドジャーナルでなくて良いから論文として終わりにしたい」気を抜くとそんな弱音が出てしまう状態でした。しかし、私の上司が選んだ次の投稿先は、Natureの姉妹誌、Nature Cell Biol.(NCB)でした。… NCBの査読結果はCellと同様に、ネガティブなリバイズ。数ヶ月の追加実験をして、再提出したもののリジェクトでした。(medister Dr’sブログ 学術論文事業を始めたきっかけ ~オープン・アクセス学術誌立ち上げ記 ゼネラルヘルスケア 竹澤慎一郎 )

 

努力と結果

博士課程1年のとき、それまでの研究をまとめて『Cell』に投稿した。結果はエディターによるリジェクト。学位の取得を優先して論文のランクを下げたいと思ったが、武藤教授は実験を追加してもう1回『Cell』に出そうと言う。1年間努力し、コメントに応えるデータを出して再度投稿したが、またリジェクトされた。リジェクトを繰り返す中、上田泰己氏や木村暁氏のような優秀な人たちの活躍を論文などで知り、「自分なんかがこの世界で生きていくのはとても無理だ」という思いがあった。転機となったのは、2回目のリジェクトの後のことだ。次にどうするかについて、武藤教授は迷われていた。そこで青木さんは、いろいろな雑誌を見て、『Nature Genetics』に出しましょうと提案した。それほど下がっていないハードルに、厳しいのではないかとも言われたが、さらに実験を追加して博士課程3年の6月に投稿。すると、予想もしていなかったほどスムーズに、10月には受理されたのだ。「最初に『Cell』に蹴られた後、1年間必死に実験を行ったことが論文掲載というかたちで認められて、研究を続けてもいいんじゃないかという気持ちを少しもてるようになりました」。(制がんを目指して、真摯に研究に取り組み続ける (1)福井大学 医学部医学科 教授 青木 耕史さん jst.go.jp 科学者としての働き方。

 

Shooting for the moon

Nature reject → Science reject → Nature Chemical Biology reject → Nature Communications 2 vs 0でアクセプト,という経緯を辿りました.実験できるドクターが3人もこの研究に関わっていたし,内容が内容なのでNatureは当たり前,何か良からぬ事が起きてダメだったとしてもNature姉妹誌が下限レベルだと思っていました.結局その滑り止めの一つであるNature Communicationsに落ち着いたんですが,嬉しいというよりむしろ残念な結果となりました.(12 生きた細胞内の温度分布測定 詳細  内山聖一 研究内容)

初稿にあたる論文は、Natureとその姉妹紙、Science、そしてCellとエディターにリジェクトされ続けました。まあ、これはある程度想定の範囲内です。そして、ようやくMolecular CellというSopko2006が掲載された科学誌で、レビュー(審査員による査読)に回りました。カバーレターで、Sopkoらの論文を引き合いに出して「彼等の結果を覆す」と主張したおかげかもしれません。しかし、帰ってきたコメントはよいものではなく、エディターによってリジェクトという結論が下されました。

リジェクトしてきた審査員の1人は、どうもトロントのグループに近い人だったようで、「この仕事はSopkoらの仕事を否定するものではなく、補完的なものである」というコメントがありました。そう、私たちの戦略は見事に失敗したのです。自分の学会発表がそうであったように、私はこれまで闘いを挑むような論文を書いたことはありません。今回は御大にそそのかされて(?)、自分に出来ないことをやってしまったようです。そこで、論文の主旨を1から作り直しました。

真面目にSopkoらの仕事も引用し、比べ、私たちとの研究の違いを書きました。すると、実際にSopkoらの仕事が私たちの仕事と補完的な仕事であることが、私にも分かってきたのです。トップジャーナルに載せようとするばかりに見るべきところが見えていなかった、初稿の論文はいろんな意味で不完全でした。私の論文執筆能力が十分でないからなのかもしれませんが、これまでたいていの場合、初稿で書いた論文がリジェクトされて、繰り直し書き直して満足のいく論文になります。すんなり通ってしまったら不完全なものが発表されてしまう、それよりはいいのかもしれません。

さて、書き直した論文は、Genome Research誌に投稿しました。これは、ゲノム研究ではトップのジャーナルです。科学誌はしばしば、「インパクトファクター」と呼ばれる、どれだけその科学誌に掲載された論文がその先に引用されているかという指標をもとに評価されます。この指標には賛否両々論あるものの、やはりそれなりに、それぞれの科学誌に掲載される難しさ、要求するスタンダードの高さを反映しています。

今回の論文については、私はインパクトファクター10以上の科学誌に絶対に掲載するつもりでした。泥臭い話ですが、たくさんの研究費や人材をつぎ込んでもらったし、結果もしっかりとしたものが得られている。あとは私ががんばるしかない。この論文が「よい科学誌」とよばれるものに掲載されないのだとしたら、私の責任以外のなにものでもない。そういう意味では、インパクトファクター13以上のGenome Research誌は、次の候補としては適切だと思われました。(第4章:gTOW6000を世にはなつ HM’s webpage 2013-01-22)

 

味方を得てアクセプト

いよいよ、Nature に投稿されて……。古寺氏: はい。2009年10月のことです。でも、すぐには載らなかったのです。インパクトのある成果だし、推敲も重ねたし、論文には自信がありました。しかし、いきなりエディターリジェクト。紋切り型のお断り文章をもらって、かなりがっかりしました。どうしていいかわかりませんでしたね。… 仕方なく、次にScience にも投稿してみたのですが、これもエディターリジェクトでした。そこで、時間をかけてもう一度論文を推敲し直しました。どうしたらインパクトのある論文に仕上げることができるのだろうかと、文字通り昼も夜も考えながら。そしてその成果を、もう一度Nature に投稿したのです。2010年5月に、Letterとして。しかし、それでもまた、エディターリジェクトでした。

もうダメだと思ったのですが、安藤教授が、ミオシン研究の世界的な権威の研究者に見てもらおうと、論文を送ってくださったのです。筋肉の研究で有名な方と、ミオシンVの研究で有名な方です。そうしたら、その2人とも大絶賛してくれて。そのうえ、Nature のエディターに推薦の手紙を書いてくれたのです。… とうとうエディターから、「考え直したら、確かにすごい内容です」という連絡が来て、論文をレフリーに回してくれることになりました。そこからは、とんとん拍子でした。(動くミオシンの撮影に成功! 古寺 哲幸氏 Nature著者インタビュー2010年11月4日)

 

自身を客観的に見る

何回かリジェクト食らってたみたいですが、ストーリーを変えて、本人も納得した形になって投稿したら、好意的なコメントが来て、追加実験をいくつか加えたら、それなりにいいジャーナルに驚くほどあっさりと受理されたようです。ストーリーがやっぱり大事ですね。データをいっぱい出したい気持ちや、本当のいきさつをさておいて、読者が読んですんなり納得できる、無理のないストーリーにまとめるのが大事です。結局Reviewerも主張が裏付けられているかどうかを判断するだけで、筋が通っていたらそれ以上の批判は難しいものです。(研究雑話(1)Wunderbarな日々 2017-03-13)

 

私はリジェクトが好きだ

諸君 私はリジェクトが好きだ
諸君 私はリジェクトが好きだ
諸君 私はリジェクトが大好きだ

瑣末な批判が好きだ
追試要求が好きだ
データ追加が好きだ
検定やり直しが好きだ
大幅改訂が好きだ
文献追加が好きだ
図表削除が好きだ

Natureで、Scienceで
Cellで、PNASで
EmBioで、C.B.で
科研費で、学振で

この地上で行われるありとあらゆるリジェクト行動が大好きだ

文献をならべたレビューの一斉発射を無意味として査読無しでリジェクトするのが好きだ
再投稿された論文をリジェクトさせた時など心がおどる

(風流記 2007年10月5日 参考:「諸君 私は戦争が好きだ」)

 

リジェクトするときに使える英語表現

  • We regret to say that ~
  • We regret to inform you that ~
  • We regret that we are unable to publish it in XXXX.
  • We regret to say that we will not be able to accept this manuscript for publication in XXXX.

 

リジェクトの味

参考

  1. “Inside Nature” ―Nature誌編集の舞台裏(?) (かたつむりは電子図書館の夢をみるか 2008-06-21) 去る6/19、筑波大学若手イニシアティブセミナーとして行われたNature ジャパンのエグゼクティブディレクター、中村康一氏の講演会に行ってきました。… 「どんなに質がいい論文でもNatureとして興味持てなかったら落とす」とのことで、過去にはこの段階で後にノーベル賞を受賞する論文を落としてしまったこともあるそうだけど、未だにそのスタイルは崩していない、と。… ただ、ここでも他の学術出版と違うのは、査読者はあくまでコメントを求められるだけで、最終的な掲載の可否は全部編集者が決める、とのこと。
  2. サイエンスに蹴られた論文がネイチャーに載る・・・ (がんの分子腫瘍学・遺伝学 2012年10月22日) サイエンスの689というのは、最初の投稿先がサイエンスでそのままサイエンスに採用された論文が689報あるということである。サイエンスに蹴られてnatureに採用されたのが82報あるということ。しかしcell誌にはサイエンスリジェクト論文は一つも載らなかった(natureリジェクト論文も載っていない)。
  3. Nature Geoscienceからリジェクト、その反省と分析 (黒猫の旅 2013年9月18日)
  4. 論文がRejectされた時。~戦うべきか、否か、それが問題だ~ YASUの呟き No. 15
  5. 論文が却下されました – どうしたらよいでしょうか? (Ben Mudrak, PhD American Journal Experts):”3つめのオプションが最も一般的です。査定者から受け取ったコメントを慎重に考慮して、論文を修正して、別の雑誌に論文を投稿します。”
  6. 8 Scientific Papers That Were Rejected Before Going on to Win a Nobel Prize (Science Alert FIONA MACDONALD 19 AUG 2016)
  7. 論文リジェクトの種類 (むしのみち 2010-05-08):”リジェクトは研究者にとっての試練のようなものですが*1、どんな種類があるのか、自身の研究をもとにまとめておきたいと思います*2。”
  8. regectされた時のモチベーションの高め方というものを教えてください。(論文がregectになりました 教えて!goo 質問者:cueda 2005/08/05)

 

 

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研究生活ハック(1) 挨拶をすることのススメ

理系の研究者はコミュニケーション能力が低いとよく言われますが、実際には、成功している研究者のコミュニケーション能力は、むしろかなり高いと思います。なぜなら、コミュニケーション能力が高くないと研究成果を挙げることが難しいからです。大学院生やポスドクにとって、ボスとのコミュニケーションは非常に大事ですが、同僚と仲良くやっていく能力も欠かせません。特に、一つの論文を書くのにさまざまな実験データを要求されるようになった現代においては、同僚の協力なしに良い論文を仕上げるのはほとんど不可能です。日頃のコミュニケーションが良くとれていれば、実験方法を教えたり、相手のために実験してあげてデータを渡したりといったことが、お互いに気持ちよくできます。自分の実験がどつぼにハマッた場合にも、一人で抱え込まずに気軽に周りの人に相談してみると、問題があっさり解決することがあります。

研究で成功するためには、常日頃からラボ内でみなと仲良くしておき、集合的な頭脳でもって研究のゴールに立ち向かうほうがよいのです。

さて、コミュニケーションの基本が、挨拶です。

研究室における挨拶

日本のラボでは、朝や帰りの挨拶をしなくてもよいという雰囲気の研究室が多数あります。新入生は、挨拶がないことが当たり前の研究室には戸惑いを覚えるようです。

B4のときの研究室はなぜかあいさつのない研究室だった…4月ごろには居室に入るときに「こんにちは」とか言っていたのだがD3やD2から「うるさい」というような目つきで睨まれて怖くて挨拶ができなくなった (おはよう】挨拶すらしない学生【こんちは】 26 : Nanashi_et_al.[sage] 投稿日:03/08/13 09:23)

配属予定の研究室に通い始めているのですが、挨拶がないことに戸惑っています。来たときも帰るときも、部屋の中で声を出して挨拶する人はいません。私も、最近は周りに合わせて挨拶をしなくなってしまいました。(研究室での挨拶 tri_mod_36 教えて!goo質問日時:2014/03/26)

挨拶に関しては個人の考え方や性格の差が大きくて、研究室でもきちんと挨拶する人はいますし、挨拶がないことを気に留めない人もいれば、内心快く思わない人もいます。挨拶が出来ない人は誤解されやすくなり、状況に応じた挨拶ができる人は、認められやすくなります。

俺もb4だけど、研究室での自分の立場を考えてとりあえず朝きたら挨拶はしてるよ。 でも、「お先に失礼します」は言わないな。 早く帰るのがばれちゃうからw (おはよう】挨拶すらしない学生【こんちは】 57 : Nanashi_et_al.[] 投稿日:03/09/23 10:04)

理工系M2の者です。最近、同じ研究室に居ながら来ても挨拶すらしない学生がいるんですが、研究室の雰囲気も悪くなるし困ってます。常にこちらからしているのですが、たまにこっちが気づかないと黙って机に向かってます。 (【おはよう】挨拶すらしない学生【こんちは】1 :Nanashi_et_al.:03/08/07 12:57)

挨拶をしない理由はひとそれぞれです。

大学の研究室のメンバーに挨拶をしない人がいます。その人は挨拶もしないで、こっそりと研究室に来て、こっそりと帰っていきます。… この人は先輩と自分の仲の良い友達だけには挨拶をするのは聞こえるのですが、私のような話をしたこともない人には全く挨拶もしないし、無視するようです。(hazhkiさん YAHOO!JAPAN 2011/6/20)

「挨拶運動」をしている。ここへ来てから4年目だが、ず〜っとやっている。学内ですれ違う学生のほとんどに挨拶するというもの。…しかし、こちらから挨拶して返してくれる学生は、おおよそ3割。自ら進んで挨拶する学生は、ほぼゼロ。…まずは、挨拶をできるようになること。これなしには、何も始まらない。以前学生に聞いたことがある。君達はなぜ挨拶しないのかと?すると、教員や職員が挨拶しないからと返事が返ってきた。tr.yamagata-u.ac.jp

ある学生が、これ以上ないというほど簡潔に理由をまとめてくれた。「恥ずかしいから。」「相手にあまり興味がないから。」「警戒しているから。」「面倒くさいから。」 (挨拶しない子供 学生の回答から考える 2004.07.15)

大学ではどうであろうか。以前に勤めていた上智大学(千代田区)では、学生から学外はもちろん学内でも、挨拶されることはほとんどなかった(ゼミの学生でも、教室外で知らん顔されたことがある。それだけ都会化している)。今勤めている「敬愛大学」(千葉市稲毛区にある)の学生から、ゼミの学生以外でもよく挨拶される(「小中高でそのようにしてきたの?」と聞くと、「そうです」という答えが返ってきた。「家の近くでも近所で知らない人に会ったら挨拶するの?」と聞いたら、「知らない人はいません。皆顔見知りです」という答えが返ってきた。)アメリカ人が、エレベーターに乗り合わせたり、行き違う人に笑顔でよく挨拶するのは、フレンドリーであるのではなく、「私はあなたに危害を加える人間ではありませんよ」というメッセージを発している為、という解釈を読んだことがある(藤原新也『アメリカ』だったと思う)(挨拶について takeuchi 2013年10月10日)

こちらが挨拶をしたのに相手から挨拶が返ってこないと残念ですが、実は、こちらの声やアクションが小さすぎて相手が気付かなかった可能性もあります。咄嗟に返せなくて、向こうはむこうで気まずい気分を味わっているかもしれません。あるいは、本人的には挨拶を返したつもりなのだが、そのリアクションがあまりにも小さすぎて、こちらが気付けなかったのかもしれません。何か他の事で頭が一杯で、周りのことが何も目にも耳にも入らない状況なのかもしれません。単に、他人への関心が一切無い人なのかもしれません。

挨拶って難しいですね。個人的な意見だけど、挨拶はするけど見返りは求めないが私のスタイルです。世の中にはいろんな人がいて、いろんな空間で生きている人がいると思うので、挨拶をしても体調や気分が優れなかったり、考え事があり返せないときもあるだろうし、自分を嫌いで返さないこともあるだろうし、挨拶を知らない人もいるだろうと思っています。不快に思うかは思わないかには個人差があると思いますが。私自身の考え方がズレていることは重々承知していますが、ちっぽけな人生経験の中で体験してきて、老若男女問わず挨拶をしても返さない人がどれほど多いことか。最初は心を病むくらいに悩みましたが、相手はそれほど気にしていない様子で。そのうち気にするのが馬鹿らしくなり、挨拶はするけど見返りは求めないようになりました。笑顔で挨拶していればそのうち良いことがあると思 います。 (おはよう】挨拶すらしない学生【こんちは】 157 : Nanashi_et_al[] 投稿日:2007/10/12(金) 22:36:08 )

なぜ挨拶をすべきなのか、挨拶を場合としない場合の心理の分析により得られた理由が、下の投稿にうまくまとめられています。

挨拶とは
人間は挨拶をしていないのにいきなり親しげに話されると、その人を図々しく感じるものだ。
人間は挨拶をしないと関係がなんかギクシャクし、ストレスがたまり、だんだん距離が離れていくものだ。 そのギクシャクがなんともいえず不快だ。自分が気持ちよく過ごすために挨拶は必要だ。 人間関係というのは挨拶をすべき距離にいるのにほっとくと、次に会ったときは必ず前回より関係がギクシャクしている。
挨拶というのは別に相手に好かれるためにするのではなく、 自然と離れていってしまう人間関係をつなぎとめるというだけにするものなのだ。
それに挨拶をすることによって自分の居場所がそこに形成され、過ごしやすくなる。 挨拶というのは別にその人と友達になるというわけや、 下手に出てご機嫌を伺うとかではなく、自分という者を周りの人間に知らしめ、自分の居場所をそこに作るためにするものなのだ。
挨拶というのはその人に対し私は敵意がありませんよということを伝えているのだ。 挨拶をしないと相手は俺が敵なのか味方なのか分からなく、心理的に不安になる。 挨拶をすれば相手はリラックスし、自分もリラックスする。人間リラックスしていないと良い人間関係は築けない。 また挨拶をしない人というのは誤解されやすく、つらい生き方をする羽目になる。
挨拶をすると気が楽になる、挨拶は人生の基本だ。 これからはめんどくさがらずに挨拶をしよう。 (おはよう】挨拶すらしない学生【こんちは】 91 : Nanashi_et_al.[] 投稿日:04/05/27 00:55 )

いっそ、挨拶をラボのルールにして明文化してしまえば、シャイな人にも挨拶してもらえそうです。

残念ながら本学でも、朝の挨拶すらまともにできない大学生が増えています。無言のまま着席し、夕方頃にまると無言のままスーッと実験室から出ていく(帰宅)。その様子はまるで幽霊です。大学生以前に、人間としてどうかという問題です。両研究室では挨拶は必修科目ですので、これができない方は配属を希望しないでください。(山口大学農学部 土壌・環境微生物研究室)

具体的な挨拶の言葉を学びましょう。

あいさつはとっても大事です。声を出すと元気が出ます。騙されたと思ってやってみましょう。研究室きたら、”おはようございます”、”こんにちは”。帰る時は、”お先に失礼します”です。(研究室マニュアル)

廊下ですれちがう近所の研究室の方にも、”おはようございます” ”お疲れ様です”と、声に出していうことは重要です。よい成果をだしている研究室の人は必ずできているように思います。研究室内でも、朝きたとき、帰るときに”おはようございます””お先に失礼します”と、いうことは重要です。(研究室での生きるすべ 女性教授奮闘記 from Toyama 2010.12.26)

  • 研究室に登校してきたとき「おはようございます。」
  • 研究室から帰宅するとき「お先に失礼いたします。」
  • 他の人が登校してきたときに「おはようございます」と言って来たら「おはようございます。」
  • 他の人が帰宅するときに「お先に失礼します」「お先です」と言って来たら「お疲れ様です。」
  • 研究室外ですれ違ったときは会釈。(防御的研究室生活の手引き 2010-02-07 発声練習)

ちなみに大学の研究室だけでなく、コンピュータープログラマー、SEの業界にも、挨拶をあまりしない傾向がみられるようです。

SEさんって、あいさつしないんですよね。朝イチ、「おはようございます。」と挨拶すると無言で通り過ぎて無言で席に着いてしまいます。普段から無口で無愛想な人というわけでもなく、ただ挨拶しないんですよね。どうしてなんでしょう? …私の見る限りでは、新人の頃はみな元気よく挨拶していますが、だんだん挨拶しなくなっていきますね。だんだん挨拶しなくなってしまうのは、誰からも反応もなかったり(といっても、扉を開けて全体に向って挨拶みたいな形だと誰に対してというのでもなく挨拶する感じなので、誰が返すべきなのかを迷うのでリアクションない場合もあるのは仕方ないと思いますが)、無闇に元気よく挨拶して周囲の邪魔をして煙たがられて空気を感じてだったり、まぁいろいろだと思います。(どうしてSEやPGはあいさつしない人が多いの? @IT 2008-08-20)

毎日の挨拶も大事ですが、初めてラボに入るときの挨拶もまた大切です。大学院生として研究室に新たに配属されるとき、ポスドクとして新しいラボに入るとき、あるいは実験を学ぶために短期間、よそのラボに派遣されるとき、最初の挨拶をきちんとできるかどうかで、ラボの人たちに快く受け入れられるかどうか、その後の本人の居心地の良さが変わってきます。ラボに新しく来る人のことを教授がラボメンバーに伝えていなかったために、ある日突然見知らぬ人がラボにいて机に座っているという光景があります。自己紹介をしないでいると、非常にぎこちない状況になってしまいます。教授が自分をラボの人に紹介してくれるのを待たず、積極的に、自分からラボの人たちに挨拶をして回りましょう。

プロとアマの違いその1 プロは挨拶がすべて アマは挨拶の重要性を解かっていない 解説 挨拶といってもただの挨拶ではありません。本当の挨拶とは、相手の眼をしっかり見て、なぜ挨拶するのかを実感して言葉にすることです。人と人とのコミュニケーションの基本です。芸能の世界はこの「本当の挨拶」が出来なかったら一発アウト。「挨拶できない人 = 仕事が成立しない人」だからです。御礼や感謝の言葉も含めて、本当の挨拶をまず身に付けて下さい。 (劇団四季で学んだプロフェッショナルとアマチュアのほんの僅かな違い~生き残る人・消える人~11のポイント)

挨拶は人間関係を良好にし、意思疎通を円滑にする基本です。ところが、挨拶は従業員の性格、特に対人コミュニケーションの得意・不得意によって影響されるという面をもっているため、挨拶の仕方にも従業員間で差が出てきます。 しかし、不得意・苦手だからといって挨拶をしなくてよいということでは決してありません。‥ ただし、業種によって求められる挨拶のレベルは異なり、たとえば、製造現場で働く従業員には百貨店の案内係のような挨拶までは必要ありません。‥ それぞれの業種や職種に適した挨拶のあり方を明確にし、そのレベルに適した挨拶をさせることが求められます。( 鷹取 敏昭,‎ 福間 みゆき 著『職場のルールブック作り方と活用法-規律の乱れを見逃さない!-』日本法令 2009年)