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研究者にとっての論文十ヶ条

  2020/08/27    研究者の評価, 研究力強化

「 追悼 角皆静男先生のご逝去を悼む 」(渡辺 豊 地球化学50 巻 (2016) 1 号 (JSTAGE))に掲載されていた「研究者にとっての論文十ヶ条」が非常に心に刺さります。以下、見出しは当サイトがつけたものです。 論文は著者の研究者としての人格そのもの 1.「書かれた論文は書いた人の研究者としての人格を表す」。書かれた論文からその研究者の人となり(人為)がわかってしまう。また,批判の材料にも使われる(日本人はあまり他をほめないが悪口は言う)。恐ろしい。 論文を書いていない人=研究者として存在していない人ということになりましょうか。恐ろしいですね。研究者として生きている証として、論文を書かねばなりません。 ところで、捏造論文ばっかり出して学会の権威にまで上り詰めた人たちの、研究者としての人格って何なんでしょう?ただのハリボテですか。   論文を出さない者はテクニシャン 2.「データのみ出して論文を書かない者は,テクニシャンである」。テクニシャンが重要でないといっているのではない。ただ,テクニシャンは研究者でないことを自覚し,研究者としての待遇を要求してはならない。逆に,研究者は研究者の責任を果たさねばならない。 実験データを出しても論文を書かないのはただのテクニシャンというのは、自分にはあまりしっくりきません。実験だけして論文を出さない人は、サボって何もしなかった人よりももっとたちが悪い。なぜなら、研究費を無駄遣いしているから、というのが自分が思うところです。自分の指導教官がいつも言っていたことなのですが。   データも論文も出さない者は評論家 3.「データも出さず,論文(原著論文)を書かない者は,評論家である」。これも評論家が不要といっているのではない。ただ,評論家として振る舞うのではなく,研究者として振る舞い,こういう人達に研究費が流れていきがちなのが問題である。 実験データを出さない人は原著論文を書けるわけがないのですが、それを評論家というのも持ち上げすぎな気がします。実験データを出さない人は、実験系の場合は単に研究に向いていない人なんだと思います。まあ、ポジティブな結果がなかなか出せない時期があるというのは、研究者にとってごくごく普通のことなのですが。研究者として生き延びるためには、ないなりに何かしら論文にするという巧みさが必要です。   論文執筆は研究者の成長の糧 4.「研究者は論文を書くことによって成長する。また,成長の糧にしなければならない」。投稿し,審査(批判)を受けることで成長する。若い人は没にされる率が特に高い。それで,こっそり黙って投稿する者がいる。むしろ,欧米のように,原稿ができたら,広く配り,周辺の批評を受けたいものである。 自分が初めて論文を書いたときは、実験をストップして100%執筆活動に専念したにもかかわらず、初稿ができあがるまでに3か月以上かかったように記憶してます。慣れてくると、実験しながら書けるところを書いていくので、そのような無駄な時間はなくなりました。論文を書いていると、実験のデザインの甘さが見えてきたり、どれだけ強い結論が引き出せるのかと知恵を絞ったりと、頭が鍛えられる気がします。ちなみに自分が聞いた、できる研究者は論文の初稿を書き上げるのはほんの2~3日だそうです。週末に書いて、週明けには最初のドラフトが出来上がっているんだそう。   論文業績は研究者の飯のタネ 5.「論文は研究者の飯のタネである」。就職,昇進,任期更新,賞,研究費など研究者としての資質が問われる際に第1に問題にされるのが,よい論文を多数という点である。良ければ伸び,悪ければこの社会から締め出される。 これはまさにPublish or perishという言葉そのものでしょう。最近の科学研究の情勢だと、Publish and quitにしかならないように思います。トップジャーナルに論文を出さない限り、なかなか研究者としては生き残れません。   後世の研究に影響を与える論文を 6.「論文は後世の研究に影響を与えなければならない」。上で,異分野の研究者(や行政関係者)がまず取り上げるのが,審査のある雑誌に第1著者として書いた論文の数である。雑誌の質やその後の被引用回数も取り上げられる。本当は質であり,どれだけ後世に影響を与えるかである。また,書いても消えてしまうかもしれないが,書いておかなければ影響を与えることはない。 研究者という職業を選んだからには、生きるのが精いっぱいなどというしょうもないことを言っていないで、後世の人に読まれる論文を出したいものです。メンデルの論文などを読んだりすると、論文って時空を超えるんだなあと実感します。   書いた論文には責任を …