2026年現在、MDPIは研究者からどう見られているのか?チャッピーに訊いてみました。ChatGPT 5.6 Sol のChatモードで得られた英語の回答を元にWorkモードで日本語の記事に作成させたものです。以下、その記事。
目次
- 1 MDPIは「ハゲタカ出版社」なのか?――白か黒かでは語れない学術出版のグレーゾーン
- 1.1 そもそも「ハゲタカ雑誌」とは何か
- 1.2 なぜMDPIは「ハゲタカ」と呼ばれるようになったのか
- 1.3 237誌、160万件以上の引用から見えたもの
- 1.4 MDPI最大の特徴――大量の特集号
- 1.5 ルールは存在する。問題は、運用が追いつくかである
- 1.6 「査読が速い」は何を意味するのか
- 1.7 実際に起きた「reviewer mill」事件
- 1.8 Web of Scienceから外された雑誌
- 1.9 Beall’s Listに載った――そして外れた
- 1.10 急成長は「不正」の証拠なのか
- 1.11 なぜSNSでは評判が悪いのか
- 1.12 MDPIはどこに位置するのか
- 1.13 優れた論文があることは、雑誌の査読が厳しい証拠ではない
- 1.14 では、MDPIはハゲタカ出版社なのか
- 1.15 投稿前に確認すべきこと
- 1.16 若手研究者ほど「論文単体」ではなく「業績全体」で考えたい
- 1.17 問題はMDPIだけではない
- 1.18 白か黒かではなく、「どこに、どの程度のリスクがあるか」
MDPIは「ハゲタカ出版社」なのか?――白か黒かでは語れない学術出版のグレーゾーン
「MDPIはハゲタカ出版社なのか?」
研究者の間でこの話題を持ち出すと、しばしば正反対の答えが返ってくる。
「きちんと査読されるし、普通のオープンアクセス出版社だ」
「いや、掲載料を払えば何でも通る。典型的なハゲタカだ」
「雑誌による。MDPIをひとくくりにするのがおかしい」
「自分なら投稿しない。業績として見られ方がよくない」
どの意見にも、それなりの経験的根拠がある。実際にMDPI誌へ論文を投稿し、厳しい査読を受けた研究者もいれば、驚くほど短期間で受理された例を目にして、査読の実効性を疑う研究者もいる。編集委員を務める著名な研究者がいる一方で、毎日のように届く投稿勧誘メールにうんざりしている人も少なくない。
結論から先に述べると、MDPIを、査読を装って掲載料だけを集める典型的な「ハゲタカ出版社」と同一視するのは適切ではない。
しかし同時に、MDPIを「ほかの伝統的な学術出版社と何も変わらない、ごく普通の出版社」と考えるのも無理がある。
MDPIは、実在する編集体制、査読者、編集委員、引用ネットワークを持つ正規の学術出版社である。その一方で、掲載料収入、圧倒的な出版量、迅速な査読、大量の特集号というビジネスモデルを極限まで効率化している。その結果、学術出版としての正統性と、ハゲタカ出版を連想させる性質とが、同じシステムの中に同居している。
MDPI問題の本質は、「本物か偽物か」という単純な二者択一ではない。
問うべきなのは、MDPIが本物の学術出版社であるかどうかではなく、その巨大な出版システムが、どの程度安定して質を管理できているのか、なのである。
そもそも「ハゲタカ雑誌」とは何か
議論を始める前に、「ハゲタカ雑誌」という言葉の意味を整理しておきたい。
Grudniewiczらが『Nature』に発表した、広く参照されている定義によれば、ハゲタカ雑誌・出版社とは、学術的価値よりも自らの利益を優先し、虚偽または誤解を招く情報、編集上のベストプラクティスからの逸脱、透明性の欠如、攻撃的かつ無差別な勧誘などを特徴とする存在である。
Predatory journals: no definition, no defence(Nature)
この定義で重要なのは、次の三つは、それだけではハゲタカ出版の証拠にならないということだ。
- 論文掲載料(APC)を徴収している
- 論文を短期間で出版している
- 大量の論文を掲載している
PLOSやBMCをはじめ、信頼性の高い多くのオープンアクセス誌もAPCを徴収している。伝統的な出版社の雑誌でも、オンライン投稿・査読システムの改善によって審査期間は短くなっている。また、PLOS ONEのように多数の論文を掲載するメガジャーナルも存在する。
したがって、
APCを取っているからハゲタカだ
という議論は成立しない。
同様に、
査読が速かったから、まともに査読していないはずだ
とも言い切れない。
さらに注意したいのは、「ハゲタカ雑誌」と「査読が弱い雑誌」も同じではないという点である。
査読が甘い、編集判断に一貫性がない、掲載論文の質にばらつきがある――こうした問題は、正規の学術雑誌でも起こり得る。一方、典型的なハゲタカ雑誌では、実在しない編集委員を掲載したり、査読を行ったように装ったり、存在しない指標をインパクトファクターのように宣伝したりする。
MDPIを評価する際には、「完全な偽物なのか」という問題と、「質の管理が十分に機能しているのか」という問題を分けなければならない。
なぜMDPIは「ハゲタカ」と呼ばれるようになったのか
MDPIに対する学術的な批判として有名なのが、M. Ángeles Oviedo-Garcíaによる論文「Journal citation reports and the definition of a predatory journal: The case of the Multidisciplinary Digital Publishing Institute (MDPI)」である。
この研究は53誌のMDPIジャーナルを対象に、次のような特徴を問題視した。
- 論文数の急激な増加
- 特集号の多さ
- 非常に短い編集・査読期間
- 比較的高い自己引用率
- MDPIの雑誌間における多数の相互引用
著者は、これらの特徴から、調査対象となったMDPI誌をハゲタカ的とみなす余地があると論じた。
Journal citation reports and the definition of a predatory journal(Oxford Academic)
ただし、この論文を根拠に「学術研究によってMDPIがハゲタカだと証明された」と主張するのは正確ではない。
この論文の初版は、その結論や分析方法をめぐって批判を受け、いったん撤回された後、修正版に置き換えられている。Oxford University Pressも、その経緯を記録している。
Retraction and replacement notice(Oxford Academic)
MDPI自身も詳細な反論を公表し、「ハゲタカ」という概念の操作的定義が不十分であることや、引用行動の比較方法などに問題があると主張した。
もちろん、MDPIは批判の対象となっている当事者である。その反論を中立的な検証結果として扱うことはできない。しかし、反論の中に検討すべき方法論上の論点が含まれていることも事実である。
この一件が示しているのは、MDPIに問題がないということではない。
そうではなく、出版量、処理速度、自己引用、特集号の多さといった特徴だけから、「MDPIはハゲタカである」という結論を自動的に導くことはできない、ということである。
237誌、160万件以上の引用から見えたもの
この問題を考えるうえで興味深いのが、2026年に『Scientometrics』に掲載された研究である。この研究では、237のMDPI誌と160万件を超える引用が分析された。
その結果から浮かび上がったのは、「MDPIには一つの共通した引用パターンがある」という単純な姿ではなかった。
自然科学・医学系を中心に、MDPIの外部にある多数の雑誌から引用され、通常の学術コミュニケーションに十分組み込まれている雑誌がある。その一方で、自誌からの引用や、ほかのMDPI誌からの引用への依存度が高い雑誌もあった。
分析対象全体では、引用のおよそ33%がMDPI内部からのものであり、そのうち約10%が同一誌からの自己引用だったとされる。
MDPI journals and their citation patterns(Scientometrics)
33%という数字を高いと見るか、出版規模を考えれば必ずしも異常ではないと見るかについては、慎重な比較が必要である。
しかし、ここでより重要なのは、MDPIの各誌が均一ではなかったという点だ。
MDPIという出版社名だけでは、個々の雑誌の編集上の信頼性や学術的な位置づけを十分に予測できない。長年刊行され、当該分野の引用ネットワークに定着した雑誌と、新設されて多数の特集号を運営している雑誌とでは、事情が大きく異なる可能性がある。
これは、多くの研究者が経験的に感じていたことを裏づける。
つまり、「MDPI」という単位は大きすぎるのである。
MDPI最大の特徴――大量の特集号
MDPIをめぐる批判の核心は、特集号、すなわちSpecial Issueの運営モデルにある。
特集号そのものは珍しくない。伝統ある学会誌や商業誌でも、特定のテーマに関する研究を集めた特集号は昔から刊行されている。専門領域の研究動向をまとめ、研究者コミュニティを形成するうえで、特集号は有益な仕組みである。
MDPIが異例なのは、その規模である。
MDPI自身の発表によれば、特集号掲載論文は2024年の全出版物の約62%、2025年にも約55%を占めていた。
つまりMDPIでは、特集号は補助的な企画ではない。出版システムの中心部分を構成している。
通常、特集号では、そのテーマを専門とする研究者がGuest Editorを務める。Guest Editorはテーマを設定し、論文を募集し、査読プロセスの一部を担当する。
理想的に運営されれば、専門家が最新の研究を集める優れた仕組みになる。しかし、数千、数万という規模で特集号を同時に展開すれば、話は変わってくる。
監督すべきGuest Editorの数が増える。投稿勧誘の量も増える。Guest Editor自身の経験や編集能力にも差が生じる。狭い研究コミュニティの中で、著者・査読者・編集者が互いに近い関係になる可能性も高まる。
2024年に『Accountability in Research』に掲載された論文は、この現象を「special issue-ization」と表現した。MDPIやFrontiersの急成長を支えた大規模な特集号モデルが、研究公正上のリスクを生み得ると論じている。
The special issue-ization of academic publishing(Taylor & Francis Online)
ただし、この現象は今やMDPIだけの問題ではない。Elsevier、Springer Nature、Wileyなどの伝統的大手出版社も、特集号やコレクションを積極的に展開している。
MDPIはこのモデルを発明したというより、極端な規模まで拡大し、高度にシステム化した出版社と見るべきだろう。
ルールは存在する。問題は、運用が追いつくかである
MDPIには、少なくとも形式上、特集号を管理するための規則が存在する。
たとえば、Guest Editorの審査、利益相反への対応、Guest Editor自身が著者となった論文の独立した編集処理、外部査読者による審査、MDPI職員ではなくAcademic Editorによる採否決定などが定められている。
この点でもMDPIは、編集委員や査読者の実在すら疑わしい典型的なハゲタカ雑誌とは異なる。
しかし、問題は規則があるかどうかだけではない。
巨大な出版量のもとで、その規則がすべての雑誌、すべての特集号、すべての投稿に対して、同じ水準で運用されているかどうかである。
毎年少数の特集号を刊行する雑誌と、膨大な数の特集号を並行して動かす出版社とでは、品質管理に必要な仕組みが違う。
MDPIに対する最も本質的な疑問は、次のように表現できる。
出版量が拡大する速度に、編集上の監督能力は追いついているのか。
これは、規則を読んだだけでは答えられない。投稿経験、査読データ、編集判断、訂正・撤回の状況などを継続的に調査する必要がある。
「査読が速い」は何を意味するのか
MDPIの魅力として、多くの著者が挙げるのが出版の速さである。
研究成果をできるだけ早く公表したい研究者にとって、投稿後何か月も編集部から連絡がなく、査読だけで半年、再査読でさらに数か月を要する従来型のプロセスは大きな負担である。
MDPIの迅速な進行は、従来の学術出版が抱えてきた非効率性への一つの回答でもある。
だが、速さは不安も生む。
MDPI誌の査読を引き受けると、1週間程度、場合によってはそれより短い期間で査読報告を求められることがある。期限が近づくと、速やかにリマインドメールが届く。
もちろん、査読者が原稿をすぐ読み始め、専門に近い論文を集中的に検討すれば、1週間でも有意義な査読は可能である。編集者が査読者を迅速に確保できれば、査読期間が短くなること自体は不自然ではない。
問題は、出版システム全体が速い処理を前提としている場合である。
時間をかけて検討する査読者、追加実験を求める査読者、統計解析や研究デザインを細かく問い直す査読者は、出版速度の観点からは進行を遅らせる存在になる。仮に直接的な圧力がなくても、システムが速度を最優先することで、厳密な査読と緊張関係が生まれる可能性がある。
ここでは、「査読があるか、ないか」という二択ではなく、
査読は実在するが、その深さと一貫性は十分なのか
と問う必要がある。
MDPIは、多くの論文について少なくとも2名の査読者による審査を求め、最終的な採否はMDPIの事務職員ではなくAcademic Editorが決定すると説明している。
したがって、MDPI全体について「査読をしていない」と断言するのは事実に反する。
一方で、「査読が存在する」ことと「常に厳格な査読が行われる」ことも同義ではない。
この区別こそが重要である。
実際に起きた「reviewer mill」事件
MDPIの査読システムに、現実の脆弱性があることを示した事件もある。
2024年、MDPIは23誌、84本の論文に影響した「reviewer mill」について調査結果を公表した。10名の査読者が関与し、類似した定型的な査読報告や、不適切な引用推奨などが確認されたという。
この事例は、二通りに解釈できる。
批判的な立場から見れば、大量出版モデルが査読者の十分な確認を困難にし、形式的な査読が入り込む余地を生んだ証拠である。
MDPI側から見れば、自社で問題を発見し、調査を行い、その内容を公表した事例である。査読の実態に関心を持たない典型的なハゲタカ出版社であれば、わざわざ問題を調査し、公表する動機は乏しい。
この二つの解釈は、必ずしも矛盾しない。
MDPIは研究公正上の問題を検出して対応する正規のシステムを持っている。しかし同時に、その出版規模ゆえに、査読操作や形式的審査に狙われやすい。
「問題が起きたからハゲタカだ」とも、「問題を公表したから安全だ」とも、単純には言えないのである。
Web of Scienceから外された雑誌
MDPIへの不信を決定的にした出来事の一つが、2023年のWeb of Science収載中止である。
Clarivateは、MDPIの主要誌であった次の2誌について、Web of Scienceでの収載を中止した。
- International Journal of Environmental Research and Public Health(IJERPH)
- Journal of Risk and Financial Management(JRFM)
とりわけIJERPHは、膨大な数の論文を刊行する巨大ジャーナルに成長していたため、この措置はMDPIにとって大きな打撃となった。
しかし、この件についても正確な理解が必要である。
Clarivateが示した問題は「Content Relevance」、すなわち掲載論文と雑誌の本来の対象範囲との関連性だった。少なくとも公表された理由は、「査読が存在しない」「出版社が詐欺的である」といった認定ではない。
もちろん、対象範囲から外れた論文を大量に掲載することは、軽微な問題ではない。
雑誌には、本来、その研究分野の知識を整理し、一定の専門的コミュニティを形成する役割がある。引用指標や掲載料収入を拡大するために対象範囲を過度に広げれば、雑誌の学術的な一貫性が失われる。
IJERPHのケースは、MDPI型の急速な規模拡大が、雑誌の専門領域を溶かしてしまう危険を示したといえる。
一方、
IJERPHがWeb of Scienceから外された
という事実と、
ClarivateがMDPIをハゲタカ出版社と認定した
という主張は同じではない。
後者は事実ではない。
議論を強く見せるために、実際の決定内容を拡大解釈してはならない。
Beall’s Listに載った――そして外れた
MDPIが「ハゲタカ」と呼ばれるようになった歴史的背景には、Jeffrey Beallによる、いわゆるBeall’s Listの存在もある。
MDPIは2014年にこのリストへ掲載され、その後MDPI側が分類に異議を申し立て、2015年に削除された。
MDPI創設者へのインタビュー(The Scholarly Kitchen)
Beall’s Listは、ハゲタカ出版社への注意を早い時期から促した点で大きな役割を果たした。一方、それは公的な規制機関や学術団体による認定制度ではなく、最終的には一人の図書館員による評価だった。
判断基準や運用方法についても、さまざまな批判があった。
したがって、MDPIが一時期リストに掲載されたことは、同社が長年にわたって疑いを持たれてきたことを示す歴史的事実ではある。しかし、それ自体を現在のMDPIがハゲタカ出版社であることの決定的証拠として用いることはできない。
急成長は「不正」の証拠なのか
MDPIの成長は、学術出版界でも異例である。
この急成長を見て、「まともに査読していたら、これほど大量に出版できるはずがない」と感じる研究者は多いだろう。
だが、成長のすべてを不正や査読不在で説明する必要はない。
学術出版を分析するChristos Petrouは、2020年に『The Scholarly Kitchen』へ寄稿した記事で、当初はMDPIの成長に深刻な問題が隠れているのではないかと考えて分析を始めたものの、その成長の相当部分は、速度、著者サービス、オープンアクセス、APC、出版量を徹底的に最適化した結果として説明できると論じた。
MDPI’s Remarkable Growth(The Scholarly Kitchen)
これはMDPIに問題がないという擁護ではない。
むしろMDPIが、研究者の現実的な需要を正確に捉えたことを意味する。
研究者には論文を出版しなければならない事情がある。学位取得、任期更新、昇進、研究費申請、共同研究の報告など、業績を求められる場面は多い。長期間待った末に編集段階でリジェクトされる雑誌より、対象範囲が広く、処理が速く、オープンアクセスで、査読の予定が立ちやすい雑誌の方が魅力的に見える。
MDPIは、この需要に対して非常に効率的なサービスを提供した。
言い換えれば、MDPIの成長は、出版社だけの問題ではない。論文数を研究者評価の中心に置く、現代の大学と研究政策が生み出した需要の反映でもある。
「大量に投稿する研究者」と「大量に出版する出版社」は、互いに無関係ではない。
なぜSNSでは評判が悪いのか
計量書誌学的な分析が示す複雑な姿に比べると、SNSにおけるMDPIの評判は、しばしば極端である。
Redditなどの研究者コミュニティでは、
「MDPIは雑誌によって違う」
「自分の論文は厳しい査読を受けた」
という経験談がある一方で、
「MDPIと見ただけでハゲタカだと思う」
「若手研究者には投稿を勧めない」
「研究室の論文がMDPIばかりだと警戒する」
といった意見も珍しくない。
別の投稿では、MDPIのゲノミクス分野の論文について、査読者が重大な方法論上の弱点を十分に指摘しなかったのではないかという懸念が述べられている。
Risk of publishing with MDPI?(Reddit)
一方、個々のMDPI誌にはQ1やQ2に位置づけられるものがあり、出版社単位ではなく雑誌単位で評価すべきだという意見もある。
もちろん、Redditの投稿は科学的証拠ではない。匿名の体験談だけで編集品質を評価することはできない。
しかし、SNSは別の意味で重要な資料になる。
それは、MDPIが実際にどのように見られているかを示しているからだ。
出版社の品質と、出版社の評判は同じではない。客観的に妥当な研究を掲載していても、研究者コミュニティで悪いイメージが形成されれば、著者はその社会的影響を受ける。
論文の投稿先を選ぶ研究者にとって、
実際に査読が行われるか
だけでなく、
採用、昇進、研究費審査の場で、その業績がどう受け止められるか
も無視できない。
MDPI問題では、学術的正統性と社会的評判がずれているのである。
MDPIはどこに位置するのか
学術出版を大まかに三つのモデルに分けると、MDPIの特殊な位置が見えやすくなる。
典型的なハゲタカ雑誌
掲載料を得ることが主目的であり、査読は存在しないか、著しく形式的である。編集委員の経歴や住所が虚偽であったり、無関係な研究者の氏名を無断掲載したりする場合もある。雑誌の指標について誤解を招く説明を行うこともある。
流れを単純化すれば、
掲載料 → 形だけの審査 → 掲載
となる。
MDPI
実在する編集システム、外部査読者、Academic Editor、研究倫理規程を備えている。一方、APC収入を基盤として、速度、規模、特集号、出版量を高度に最適化している。
単純化すれば、
APCを伴う投稿 → 外部査読 → Academic Editorによる判断 → 迅速な出版
となる。
ただし、このプロセスの厳密さには、雑誌、編集者、特集号によるばらつきが疑われている。
伝統的な選択性の高い雑誌
編集部による強い初期選別を行い、限られた本数の論文を時間をかけて審査する。一般に不採択率は高く、投稿から出版までの期間も長い。
単純化すれば、
投稿 → 厳しい編集上の選別 → 外部査読 → 再審査 → 掲載
となる。
もちろん、現実の雑誌はこの三分類に完全には収まらない。伝統的大手出版社にも査読の甘い雑誌はあり、編集上の不祥事も起きる。逆に、MDPI誌でも非常に厳しい審査が行われることがある。
それでもMDPIが議論を呼ぶのは、正規の出版社に必要な制度を備えながら、ハゲタカ出版を連想させる経済的特徴も持っているからである。
| 特徴 | 典型的ハゲタカ誌 | MDPI |
|---|---|---|
| APCを徴収する | 多い | 原則として徴収 |
| 投稿勧誘メール | 攻撃的・無差別 | 非常に多い |
| 出版までの期間 | 極端に短い | 非常に短い傾向 |
| 実質的な査読 | ない場合が多い | 存在する |
| 実在する編集委員 | 疑わしい場合がある | 存在する |
| WoS・Scopus収載 | 少ない | 多数ある |
| 通常の引用ネットワーク | 弱い | 多くの雑誌が参加 |
| 研究倫理規程 | 不在または名目的 | 整備されている |
| 特集号 | 乱発されることがある | 出版モデルの中核 |
| 品質の一貫性 | 低い | 雑誌・特集号ごとの差が大きい |
この位置を表すために、「グレーゾーン出版社」「ボーダーライン」「疑わしい出版慣行を含む出版社」「大量出版型の商業オープンアクセス出版社」といった表現が使われることがある。
どの呼び方を採用するにせよ、「すべて詐欺である」と「完全に問題がない」の間に広い領域があることを認める必要がある。
優れた論文があることは、雑誌の査読が厳しい証拠ではない
MDPI誌には、優れた研究論文が多数掲載されている。
これは間違いない。
しかし、
優れた論文が掲載されている
したがって、その雑誌の査読は厳格である
という推論は成立しない。
優れた研究は、査読が弱い雑誌に投稿されても、優れた研究のままである。最初から完成度の高い論文なら、編集上のフィルターが弱くても質は高い。
反対に、『Nature』や『Science』を含む一流誌にも、後に重大な問題が判明する論文は掲載される。
つまり、個々の論文の品質と、雑誌が備えている選別機能の強さは別の問題である。
数式的に表すなら、区別すべきなのは次の二つである。
[
P(\text{優れた論文}\mid\text{その雑誌に掲載})
]
と、
[
P(\text{厳格な選別が行われる}\mid\text{その雑誌へ投稿})
]
である。
MDPI誌に優れた論文があることは、前者を示す材料にはなる。しかし、それだけでは後者を証明できない。
逆に、MDPI誌で質の低い論文を一つ発見しても、それだけで出版社全体がハゲタカであることにはならない。
重要なのは、良い論文や悪い論文が「存在するか」ではなく、編集基準がどのような分布を持ち、どの程度一貫して適用されているかである。
では、MDPIはハゲタカ出版社なのか
ここまでの証拠を踏まえると、私の答えは次のようになる。
MDPIは、掲載料を得るためだけに査読を偽装する、典型的な意味でのハゲタカ出版社ではない。
MDPIには、実在する雑誌、編集委員、査読者、Academic Editor、研究倫理規程がある。多くの雑誌がWeb of ScienceやScopusなどに収載され、他社の雑誌を含む通常の学術的引用ネットワークに組み込まれている。高く引用される論文や、学術的に重要な論文も多数出版している。
その意味で、「MDPIは全部偽物」「掲載料さえ払えば無審査で掲載される」という言い方は正確ではない。
しかし、MDPIに対する懸念を、古い研究者の偏見や出版社への嫉妬として片づけることもできない。
懸念には具体的な根拠がある。
- 出版論文数が極めて急速に増加した
- APC収入と出版量が直接結びつく
- 特集号が産業的な規模で運営されている
- 著者やGuest Editorへの勧誘が非常に多い
- 査読者に極めて短い期限を求める場合がある
- 編集上のフィルターが弱いと思われる事例がある
- 一部の雑誌ではMDPI内部からの引用への依存が高い
- 査読操作に関する実際の事件が確認されている
- 主要誌がWeb of Scienceの収載対象から外された
- 雑誌や特集号による品質のばらつきが大きい
とりわけ重要なのは、最後の点である。
「MDPIだから安全」「MDPIだから危険」と出版社単位で判断するよりも、個々の雑誌と編集体制を調べる必要がある。
投稿前に確認すべきこと
では、実際にMDPI誌への投稿を検討するとき、何を確認すればよいのだろうか。
1.Editor-in-Chiefは誰か
その研究分野で実績のある研究者か。現在も積極的に研究しているか。単に氏名が掲載されているだけでなく、雑誌の編集方針に実質的に関与していると考えられるかを確認する。
2.担当編集者は適切か
自分の論文を扱うAcademic EditorまたはGuest Editorが、そのテーマを判断できる専門性を持っているか。専門領域から遠い編集者が担当する場合は注意が必要である。
3.通常号か特集号か
特集号であること自体は問題ではない。ただし、特集テーマが不自然に広くないか、雑誌本来の対象範囲と一致しているかを確認したい。
4.Guest Editorは信頼できるか
当該テーマで十分な業績があるか。研究コミュニティで認知されているか。Guest Editor自身や近い関係者の論文ばかりが掲載されていないかも確認する。
5.直近の掲載論文を読む
インパクトファクターやQuartileだけを見るのではなく、最近掲載された論文を実際に複数読む。研究デザイン、統計解析、考察の深さ、英文の質、対象範囲の一貫性などを見る。
6.雑誌の対象範囲が保たれているか
誌名やAims and Scopeとほとんど関係のない論文が大量に掲載されていないか。対象範囲の過度な拡張は、編集方針の弱さを示す可能性がある。
7.収載状況を公式データベースで確認する
Web of Science、Scopus、PubMed、MEDLINEなどの収載状況は変わり得る。雑誌のウェブサイト上の表示だけでなく、それぞれの公式データベースで確認した方がよい。
特にPubMedへの掲載とMEDLINEへの収載は同じではないため、医学系では注意が必要である。
8.訂正・撤回の状況を見る
訂正や撤回が存在すること自体は、必ずしも悪い兆候ではない。問題を適切に訂正することも編集責任の一部である。
見るべきなのは、同じ種類の問題が繰り返されていないか、問題発覚後の対応が透明かどうかである。
9.勧誘メールが具体的か
自分の研究内容を踏まえた勧誘なのか、それとも論文タイトルやキーワードを機械的に差し込んだだけなのか。自分の専門とほとんど関係のない特集号への招待は、編集上の適合性より投稿数を優先している可能性を示す。
10.自分の研究分野でどう評価されているか
これが実務上は非常に重要である。
あるMDPI誌が、特定分野では標準的な投稿先として受け入れられていても、別の分野では低く評価されていることがある。大学、国、研究領域によっても認識は異なる。
信頼できる先輩研究者、共同研究者、所属部局の評価担当者などに確認する意味は大きい。
若手研究者ほど「論文単体」ではなく「業績全体」で考えたい
研究歴の長い研究者が、目的に合ったMDPI誌へ一本の論文を投稿したからといって、その人の評価が大きく損なわれる可能性は高くない。
その論文の研究内容がしっかりしており、ほかにも多様な雑誌での業績があれば、通常は個別の掲載先だけで研究者全体が判断されることはない。
一方、若手研究者の業績リストが、短期間に掲載されたMDPIの特集号論文ばかりで構成されている場合、一部の評価者は警戒する可能性がある。
これは、その論文が実際に悪いという意味ではない。
しかし、採用や昇進の審査では、研究者がどのような投稿戦略を取り、どの程度競争的な選別を経験してきたかも暗黙に見られることがある。
したがって若手研究者は、個々の論文について「ここなら早く掲載できる」と考えるだけでなく、数年後に業績リスト全体がどのように見えるかも考えた方がよい。
MDPI誌へ投稿してはいけない、ということではない。
投稿先を一つの出版社や、一つのタイプの雑誌に集中させ過ぎないことが重要なのである。
問題はMDPIだけではない
ここまで読むと、MDPIだけが学術出版を商業化し、論文数を増やしているように感じるかもしれない。
しかし、APCモデル、大量出版、特集号、迅速査読、引用指標をめぐる競争は、学術出版業界全体に広がっている。
Elsevier、Springer Nature、Wiley、Frontiersなども、多数の雑誌、特集、コレクションを運営している。伝統的な出版社でも、編集上の不祥事、査読リング、論文工場、特集号の乗っ取り、大量撤回は起きている。
MDPIが目立つのは、こうした変化を最も速く、最も大規模に進めた出版社の一つだからだ。
MDPIを批判することは必要である。
だが、MDPIだけを排除すれば学術出版の問題が解決すると考えるなら、本質を見失う。
背景には、論文数を重視する研究評価、短期間で成果を求める研究費制度、出版実績を必要とする若手研究者の不安定な雇用、引用指標への過度な依存、査読労働を無償で研究者に委ねる出版制度がある。
大量に出版したい出版社と、大量に出版しなければ生き残れない研究者。その両者を生み出している構造まで見なければならない。
白か黒かではなく、「どこに、どの程度のリスクがあるか」
MDPIを「ハゲタカか否か」という一語で裁こうとすると、議論は行き詰まる。
「ハゲタカではない」と言えば、出版量、特集号、査読速度、勧誘、引用行動などの問題を軽視することになる。
「ハゲタカである」と断言すれば、実在する査読制度、編集委員、引用ネットワーク、研究倫理上の対応、雑誌間の大きな差を無視することになる。
より正確な表現は、次のようなものだろう。
MDPIは、正規の学術出版インフラを備えた、高度に商業的かつ大量出版型のオープンアクセス出版社である。ただし、その速度と規模、特集号中心の運営によって、編集品質と査読の一貫性に看過できないリスクを抱えている。
あるいは、もっと短く言えば、
MDPIは「典型的なハゲタカ出版社」ではない。しかし、「出版社名だけで安心して投稿できる存在」でもない。
重要なのは、出版社に白黒のラベルを貼ることではない。
その雑誌で誰が編集を担い、どのような論文を掲載し、どの程度の査読を行い、その研究分野でどのように評価されているかを確認することである。
MDPIについては、出版社単位の評判より、雑誌単位、さらに言えば特集号単位の検討が必要になる。
研究者が最終的に問うべきなのは、
「MDPIか、MDPIではないか」
ではなく、
「この雑誌、この編集者、この特集号は、自分の研究を託すに値するか」
なのである。
その問いに答えるには、インパクトファクターも、SNSの評判も、ブラックリストも、それだけでは不十分だ。
結局のところ必要なのは、研究論文を読むときと同じ態度である。
単純な結論に飛びつかず、証拠を一つずつ確認し、反対の証拠にも目を向け、対象ごとの差を見落とさないこと。
MDPIをめぐる論争そのものが、現代の学術出版を批判的に読み解くための、一つの格好の教材なのかもしれない。