MARCHってくくるのいい加減やめません?

      2018/04/10

AI vs. 教科書が読めない子どもたち

「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」という本が評判です。著者は「東ロボ」くんプロジェクトリーダーの国立情報学研究所教授で、こどもの国語教育の危機を憂える内容です。ネット上のレビューでは、この本を絶賛する声ばかりです。

しかし、自分はこの本の帯の「人工知能はすでにMARCH合格レベル」という偏差値偏重意識が結晶化したような文言に驚きを禁じえませんでした。

MARCH(明治大学、青山学院大学、立教大学、中央大学、法政大学をまとめた呼称)は、もともと受験産業関係者が作り出した言葉だそうです。

この呼び名の発案者は、旺文社で「蛍雪時代」など受験情報誌を作っていた代田恭之さんである。1960年代のことだ。 ‥ 講演で聴衆が眠くならないよう、インパクトがある名称を考えたかったのです。受験生に大学を身近に感じてもらうよう、そして、つらい受験勉強を和ませてあげようという思いからです。いくつかの大学を同じような難易度、似たような歴史と伝統、そして近隣地域で組み合わせて、グループ分けしました。 ‥ MARCHは一部の受験関係者の間で使われていたが、それほど広まったわけではない。1980年代まで新聞、雑誌に登場することはほとんどなかった。 ‥ 高校や予備校の進路指導でMARCHという言葉がぼちぼち使われはじめたが、十分に行き渡っていなかった。2000年代になってようやく、メディアでみられるようになった。‥ 「早慶MARCH関関同立 伸びている私立高校(「週刊朝日」2004年4月30日号) (小林哲夫 著 『早慶MARCH 大学ブランド大激変』 朝日新聞出版)

偏差値が似た大学をひとくくりにしたこの呼び方が、MARCHに限らずいくつか考案されており、今の日本で定着してしまっています。考案された当初は、受験生にとって良かれと思ってのことだったのかもしれません。しかし、受け手側の問題として、このように偏差値で複数の大学をひとくくりにして見ることが当たり前になってしまい、日本人の意識が偏差値漬けになってしまいました。公立高校のウェブサイトでも頻繁にMARCHという言葉を見かけますが、いやしくも教育者たるものが使うべき言葉ではないでしょう。それなのに、予備校関係者(営業)や高校生や受験生が使うのならいざ知らず、高校の先生どころか、国立大学の先生までもが使ってしまうとは。しかも、本書は子供の学校教育の問題に関する本です。

「東ロボくん」は、東大には合格できませんが、MARCHレベルの有名私大には合格できる偏差値に達しています。(新井 紀子『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』東洋経済新報社 2018/2/2)

あるべき教育を論じた本の中で、偏差値による大学の格付けを当たり前のこととして読者の意識に刷り込むような言葉遣いをしていることは、看過できません。

独自の教育理念を持って教育にあたっている私立大学をいっしょくたにしてMARCHと呼ぶだけでも大学関係者に対して失礼極まりないし、さらに、MARCHレベルなどと表現することにより日本に蔓延する偏差値信仰の悪弊を増長させるのは、教育者として極めて不適切な行為ではないでしょうか?

この本は、東洋経済新報社という大手出版社から発行されていることを考えると、「MARCHレベル」という言葉は著者だけでなく、編集者や校正など多くの人を素通りしたのでしょう。オトナがみな麻痺しているというのは、重大な問題です。

偏差値偏重の風潮を助長する東ロボくんプロジェクト

東ロボ報道の中にも、日本を覆う偏差値偏重が見てとれます。公立高校は進学実績をアピールするために、その気がない高校生にも無理やり国公立大学を受験させようとする圧力がありますが、新聞記事の中で「私大なら合格できる」というのも、国公立大学が私立大学よりもレベルが上という、おかしな認識を当然のこととした言葉遣いです。

大手予備校の代々木ゼミナールの判定では「東大の合格は難しいが、私立大学には合格できる水準」だった。( 人工知能が東大模試挑戦 「私大合格の水準」 国立情報学研など 日本経済新聞 2013/11/23付)

東ロボのプロジェクトリーダーが、「うちの子はこんな大学に合格できるんですよ』って近所の人に自慢してみたい心境です。」(NHK)(当サイト記事つれづれすくらっぷ)などといっているわけですから、開いた口がふさがりません。報道機関もこのような発言を編集せず世に流しているわけですから、日本全体が麻痺しているのでしょう。東ロボプロジェクトがあぶりだしたものは、自分の虚栄心を満足させるために子供を「良い大学」に行かせようとする親の心理や、偏差値信仰が潜在意識に染み込んでいて、もはやそのおかしさにまったく気付かない日本人たちの姿でした。

べつに、入るのが難しい大学ほど入試問題も難しいというわけでは必ずしもないのですから、どのレベルの大学には入れる知能という言い方自体、ナンセンスです。

 

脱偏差値へ

2020年に入試改革がありますが、入試をいじる正当性として、1点差で合否が決まる今の入試制度がおかしいという主張があります。しかし、自分は1点差で合否が決まるのは、公正さと言う点ではむしろいいことだと考えます。高校の先生の主観が入る内申書などを使うよりも、ずっとましです。それよりも、問題なのは、偏差値が1違うだけでも大学の優劣、ひいては人間の優劣まで判断してしまう人たちが少なからず存在することです。そして、このような偏差値による輪切りを助長しているのが、「MARCHレベル」などといった言葉遣いなのです。学校教育の問題点を指摘した本でこのような言葉が無神経に使われ、誰もがその異常さをスルーしているのはまったくもって不思議です。もはやほとんどの日本人にとって、当たり前すぎて、問題と感じられないのでしょうか?人々の意識から、このような感覚を払拭しないかぎり、入試の形態を変えたところで、教育改革は成功しないでしょう。

 

 

参考

  1. 【AI】なぜ人工知能は東大に合格できないのか?「東ロボくん」プロジェクトで分かったAIの弱点 (5ch.net)
  2. 「ロボットは東大に入れるか」成果報告会 in 2016(11/14)レポート (nix in desertis 2016年11月28日
  3. 小林哲夫 著 『早慶MARCH 大学ブランド大激変』 朝日新聞出版 2016年7月13日 ISBN-13: 978-4022736734

更新 20180228 本文中から個人名を削除 20180223 口調をですます調に変更

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