24時間、研究できますか?

24時間、戦えますか?

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研究者は24時間、研究をやるべきなのか、やらないべきなのか、SNSで激論が戦わされていました。こういう議論は、研究者という職業に興味がある学生を不安がらせるようですので、論点を整理しておきます。

議論の始まり

深夜や休日に研究するのは学生だけでなく教員も基本的に禁止すべきという意見(*)が2024年12月25日にX上で投稿されたことが発端でした。

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その後、それに対する反対意見やその反対意見に対する反対意見などが噴出しました。

議論のかみ合わなさについて

一つの主張のようにみえていくつかの部分に分かれており、それのどこにカチンとくるかで、反論の内容にバリエーションが生まれているようです。また、企業研究者vs.アカデミア研究者の感情的な対立や、定職についている研究者vs.大学院生など、さまざまな構図が見受けられました。自分の所属する業界やキャリアパスにおける位置が異なれば当然、考え方も違うわけで、それで多くの人を巻き込んだ嚙み合わない議論が続いたようにも感じました。

「研究者という人生」と「研究者という職業」の違いについて

アカデミアの研究者しか自分は知りませんが、皆さん基本的に研究者を職業とはとらえていない人のほうが多数派に見えます。研究者=研究人生、です。でなければ、研究で成果が出せるかどうかに関して何の保証もなく、薄給で成果が出たとしてもその先の定職も保証されていないようなハイリスクローリターンの職業を選ばないでしょう。

研究者は無意識の世界でも研究を続けていることについて

24時間といいつつ、お前寝てるやろ!みたいな反論も多数ありましたが、夢の中で実験してたり、夢の中で結果が出たり(起きてみたら、ナンセンスなものに過ぎなかったりですが)することもあります。

研究というものについて

やっぱり研究を、通常の職業の職務と同列に語るのは無理なんじゃないでしょうか。

24時間研究することについて

 

1日24時間が研究成果の十分条件ではないことについて

研究で結果を出すための必要条件について

まだ研究の進め方が体得できていない段階では、がむしゃらになる時期が絶対に必要だと自分は思います。研究に限らず新しいことを学ぶのって、そういうものなのでは。

研究者の研究スタイルは人それぞれで多様性があることについて

生活スタイルだけでなく、研究アプローチに関しても多様性があるのが研究のいいところで、自分の能力が劣っているとこは他人の力を借りたり、そもそも不得意なことで勝負しなければよかったり、いろいろやりようがあります(生命科学の実験系の場合)。

自分の研究のスタイルは自分の自由意志によって選べられるべきことについて

アカデミック・ハラスメントの危険性について

沼研のやり方が当然という人がいたら怖いでしょうね。

  1. 沼研の伝説的なエピソード:沼正作(1929-92)

極論に走らないことの重要性について

特に家族がいて研究職に就いている場合には、バランスの良さが結果的に研究の持続性にもつながると思います。

研究者の家族について

大学の先生が本を書いたときに、たいてい「この本を忍耐強くしていてくれた妻に捧げる」と書いています。つまりは、そういうことです。

ドイツ人の研究スタイル

SNSで消費される時間について

24時間といいつつ、お前今SNSやってるやろ!というシニカルな意見も。

脳はオモテで意識に関与しているだけでなく、同時にウラでは潜在意識として働いている脳もあります。SNSをやっている最中にも無意識にさまざまなアイデアと研究のアイデアとの結合が生じているかもしれません。

研究の真実

自分は個人的には、以下の文章が気に入っています。だからといって家族をないがしろにしていいわけではないのですが。

「朝起きた時に,きょうも一日数学をやるぞと思ってるようでは,とてもものにならない。数学を考えながら,いつのまにか眠り,朝,目が覚めたときは既に数学の世界に入っていなければならない。どの位,数学に浸っているかが,勝負の分かれ目だ。数学は自分の命を削ってやるようなものなのだ」佐藤幹夫先生(佐藤超関数や概均質ベクトル空間の理論の創始者)

数学は体力だ! 木村 達雄 数学系教授(当時) 初出: 筑波フォーラム 45, 104-107, 1996年11月 https://nc.math.tsukuba.ac.jp/column/emeritus/Kimurata/