カルノー(1796 – 1832)は、高校の物理で習うあのカルノー・サイクルを考案した人で、熱力学に関する理論的な考察を始めたパイオニアと位置付けられます。36歳の若さで亡くなっていますが、生涯で唯一となる論文(本)を28歳のときに出版し(1824年)、この論文によってその功績が後世に残りました。
熱力学第二法則の確立に最も貢献した 3 人を挙げるとカルノー、トムソ ン (ケルヴィン卿)、クラウジュウスになる。(熱力学基礎 PDF)
カルノー28歳、わずか1篇の論文『火の動力』で、熱力学の基礎を確立した。イギリスに誕生した蒸気機関は、フランスで効率改良の理論研究が進められ、彼は熱の生む動力の絶対的な制約を見いだす。(熱学思想の史的展開2 ─熱とエントロピー 山本 義隆 著 この本の内容 筑摩書房)
カルノーの論文
フランス語原題 Réflexions sur la puissance motrice du feu et sur les machines
propres à développer cette puissance.
本文(フランス語) http://www.numdam.org/article/ASENS_1872_2_1__393_0.pdf
英語タイトル Reflections on the Motive Power of Heat.
本文(英語 翻訳)https://en.wikisource.org/wiki/Reflections_on_the_Motive_Power_of_Heat
カルノーの時代は、まだ「熱」の正体が何かわかっておらず、科学者の間では熱が「物質」であるとする熱素説(カロリック説)が有力な仮説でした。そのため、この論文でも、カルノーは「熱素説」の立場で議論をしており、熱素(the caloric)という言葉を使っています。
論文発表後
だがその理論は巨視的自然の究極の真理に触れるラディカルなもので、技術者にも物理学者にも受け入れられることなく長く埋もれる運命となる。(熱学思想の史的展開2 ─熱とエントロピー 山本 義隆 著 この本の内容 筑摩書房)
今でこそ高校の物理で習うカルノーの業績ですが、不思議なことにカルノーの論文の意義は誰にも理解されず、長い間誰も関心を示さなかったようです。
病死
1832年6月、病に倒れ、同年8月24日、コレラにより36歳の生涯を終えた。死後、遺品はコレラの感染防止のためほとんどが焼却処分された。(ウィキペディア)
カルノーの後世の評価
- THERMODYNAMICS AS LEGACY OF SADI CARNOT (National Conference on Futuristics in Mechanical Engineering)
- Sadi Carnot and the Second Law of Thermodynamics
参考
- カルノー・熱機関の研究 (みすず書房)
- 『熱力学』講義ノート 冨田博之 (総合人間学部基礎科学科情報科学論講座) tomita@phys.h.kyoto-u.ac.jp 2003 年 9 月5版
- 熱力学講義ノート第8版 埼玉工業大学 小西克享