日本の大学における科学教育の英語化を再考する

―教育の質と国際化のジレンマ―

はじめに

近年、日本の高等教育において「国際化」が強く推進されており、その一環として大学における授業の英語化、特に理工系分野における英語での講義が増加している。文部科学省が主導する「スーパーグローバル大学創成支援」などの政策もこの流れを後押ししている。しかしながら、科学教育の英語化は一見すると国際的な競争力の強化に資するように見える一方で、実際の教育の質、学生の学習効果、教員の教育・研究環境には複雑な影響を及ぼしている。本稿では、学生と教員双方の立場から、科学教育の英語化の意義と問題点を多角的に論じる。


学生の立場からの検討:学習効果の低下というリスク

科学の専門知識を体系的に理解し、批判的思考を養うには、まず内容理解が不可欠である。しかし、授業が英語で行われることにより、特に英語に不慣れな学部生においては「言語の壁」による理解の遅れが顕著に見られる。日本語であれば即座に理解できる概念も、英語では意味の取り違えや誤解を招きやすく、結果として学習意欲や自己効力感の低下を招く恐れがある。

また、科学技術系の専門語彙や理論はすでに抽象度が高く、英語力そのものを測る場ではない。英語学習と科学教育を同時に行うことは、特に基礎課程においては教育効果を分散させる結果になりかねない。実際に、授業理解度が下がった、成績が振るわなくなった、議論に参加できなくなったという学生の声は少なくない。


教員の立場からの検討:教育の負荷と研究への影響

教員側にとっても、英語による講義は大きな挑戦である。非ネイティブ教員が限られた準備時間で英語による資料作成や講義運営を行うには、相当の労力を要する。その結果、授業準備に時間が取られ、本来注力すべき研究活動が圧迫されるという声もある。

さらに、英語での教育は必ずしも双方向性を保証するものではない。学生が英語で質問を避けるようになると、教室の対話性は低下し、講義は一方通行となりがちである。これは教育の質の低下に直結する可能性がある。


「国際化」の実効性とその限界

英語化の推進は、「国際通用性のある人材育成」や「海外からの留学生受け入れの円滑化」などの目的のもとに行われている。しかし、実際に英語で授業を受けた学生が海外で研究活動や留学に積極的に向かうケースは限定的であり、英語化がそのまま国際競争力に結びついているとは言い難い。

一方で、英語による講義は特定の分野(AI、バイオ、エネルギーなど)において、国際共同研究や海外論文読解の素地を育むという意味では一定の利点もある。だが、それはあくまで「英語での学術活動」が求められる段階に達した学生にとって有効なのであり、初学者にとっては時期尚早なことが多い。


科学教育の英語化における今後の展望

日本の大学における科学教育の英語化は、一律に推進されるべきではない。学年や専門性の段階に応じた段階的な導入、つまり「プレ基礎科目は日本語、上級専門科目やセミナーは英語」といったハイブリッドな運用が望ましい。また、留学生受け入れに特化した「英語コース」の設置は国際化との整合性が高いが、それを日本人学生全体に強制的に広げることには慎重であるべきである。

さらに、教員へのサポート体制の強化(TAの導入、教材作成支援)、学生に対するアカデミック英語教育の拡充も不可欠である。科学を「英語で教える」ことを目的とするのではなく、「科学を深く理解し、英語でも表現できるようにする」という本質的な学習支援こそが求められている。


結論

科学教育の英語化は、日本の高等教育の国際化を促進する一方で、学生の学習効果や教員の教育負荷に多大な影響を与えている。英語化が自己目的化することなく、科学的リテラシーの向上と国際的通用力の獲得が両立する教育体制の整備が急務である。そのためには、「誰のための英語化か」「どの段階で英語化すべきか」という問いを常に問い直しつつ、柔軟かつ実証的な教育政策の構築が求められる。


(By ChatGPT 4o)