1995.3.20地下鉄サリン事件から20年

      2018/07/06




1995年3月20日の地下鉄サリン事件から20年が経ちました。オウム真理教の教団内でなぜ化学兵器が開発できたのでしょうか?オウム真理教では、東大、京大、阪大、東工大、早大、慶應大、筑波大などの出身者で大学院まで修めたような非常に高学歴な人間も入信しており、教団の幹部になっていました。また、遺伝子工学や有機合成の経験者がテロのための化学兵器、生物兵器の開発を行っていました。

  1. 村井秀夫:1958年生まれ。1981年大阪大学物理学科卒業。宇宙物理学分野で卒業研究を行い、天体のX線放射を研究。大阪大学大学院理学研究科修士課程修了、理学修士。1987年、出家僧としてオウムに入信。麻原につぐNo.2の地位にいた。1995年4月23日に東京都港区南青山の教団東京総本部前で刺殺された。
  2. 上祐史浩:1962年生まれ。早稲田大学電子通信学科卒業。早稲田大学大学院で電気通信学を専攻。1986年夏、オウムのセミナーに参加。1987年修士号を取得、宇宙開発事業団に就職するが、1ヶ月後に退職しオウムの出家僧に。1992年以降はロシア支部にいたことなどから一連のオウム真理教テロ事件への関与で起訴されることなく、別件で懲役3年の実刑判決を受けた。
  3. 早川紀代秀:1949年生まれ。神戸大学卒業、大阪府立大学大学院で農芸工学 (緑地計画) 専攻。1986年、オウムに入信。2009年7月17日、死刑判決が確定。
  4. 遠藤誠一:1961年生まれ。帯広畜産大学卒業、京都大学大学院医学研究科大学院生となり、ウイルス研究センターでAIDS関連遺伝子研究に取り組む。1987年オウム入信、1988年には出家僧となる。オウムでは生物兵器開発を担当。2011年11月21日、死刑判決が確定。
  5. 中川智正:1962年生まれ。1988年京都府立医科大学卒。1988年オウムに入信。大学卒業後、研修医となったが、1989年に出家し、麻原の主治医となった。2011年11月18日、死刑判決が確定。
  6. 土谷正実:1965年生まれ。1989年、オウム真理教の道場 (瞑想の場) に参加。筑波大学では化学 (物理化学と有機化学) 専攻で修士号を取得。1991年に出家。サリン製造で中心的な役割を果たした。2011年2月15日、死刑判決が確定。

なぜ高等教育を受けて科学を学んだ人たちが、麻原 彰晃(本名:松本 智津夫)の教義を信じて、無差別殺人の命令に従い実行したのでしょうか?Center for a New American Securityの報告書を読むと、教団における生物・化学兵器開発研究がどのように行われ、テロに使われたのかをうかがい知ることが出来ます。

オウム真理教内では遠藤誠一がまずボツリヌス菌を用いて生物兵器を作ろうとしましたが、結果的に失敗しています。

1990年2月の選挙敗北と、破滅論アプローチへの回帰の後、麻原は早川、新実、遠藤、村井に対し、ボツリヌス毒素を産生する細菌であるボツリヌス菌(Clostridium botulinum 、C. botulinum)を入手するよう命じた。…遠藤は1990年春、北海道の石狩川流域に行き土壌から細菌を採取した。…この生成物は大量であったけれども意図した効力はなかったことが、さまざまなことからわかる。教団信者たちは、攻撃により誰も死亡しなかったことを知った。実際、ある信者が発酵槽タンクに滑って落ち、おぼれかけたが、発病の徴候は見られなかった。中川は、生成物質の科学的な評価を試みた。2000~3000匹のマウスを購入し、生成物質に曝露させ、およびボツリヌス毒素のマウス検定を用いて、その結果を評価したのである。この試験によりマウスには毒性影響はないことが明らかになったが、一部のマウスは死んだため、ある程度のあいまいさが残ったと中川は考えた。(Center for a New American Security 2012年12月)

遠藤誠一はさらに、炭疽菌で生物兵器を作ろうと試みましたが、やはり、失敗に終わりました。

1992年、遠藤をリーダーとして生物プログラムが再開した。このときは遠藤は炭疽菌 (Bacillus
anthracis、B. anthracis) に取り組んだ。…関係者全員が、これがワクチン菌株であることを認識していたのは明らかであった。…Sterne菌株は、2つのプラスミド(pXO1、pXO2) のうちpXO1を有しているがpXO2を欠いている。効果的な毒性を有する炭疽菌を生み出すには、これらが2つとも必要となる。遠藤は、第2の (Pasteur) ワクチン菌株が逆に、第2のプラスミドを保持し第1のプラスミドを取り除かれていることで、致死性を避けながら免疫を提供していることに気がついたのかもしれない。1989年のロシアの科学者による論文で、遠藤は、この2つの良性菌株を両方とも入手すれば、これらを合わせて、両方のプラスミドを含む効力の強い菌株を生成できることを知っていた可能性がある。.. 現存するオウムのサンプルのKeimによる分析の結果、噴霧された菌株は第2のプラスミドを欠いていたことが示された。従って、遠藤が追求した方法が何であれ、彼は失敗したと考えられる。この結論は、この炭疽菌製造物でオウムは誰も殺すことができなかったという事実によっても裏付けられる。(Center for a New American Security 2012年12月)

教団内では、遠藤誠一が生物兵器を開発する一方で、土谷正実が化学兵器の開発を担当しており、ボスに気に入られようとして両者の間に競争心が働いていた可能性もあります。

1992~1994年に、遠藤は病原体を兵器として選んでもらえるよう、継続的に働きかけていた。大きな視点から見れば、この売り込みは、彼個人のステータスに関連があると考えられる。遠藤は生物プログラムを運営していた。化学プログラムが再び開始され、後述のように成功を収めたため、熟練した化学者である土谷は競争相手であった。

1993年8月には麻原は次第に化学兵器の方を重要視するようになり、遠藤の生物兵器は軽んじられるようになった。(Center for a New American Security 2012年12月)

生物兵器の開発が失敗したのに対して、土谷正実による化学兵器サリンなどの製造は成功を見ることになりました。

土谷正実はオウム組織内で遠藤の部下であり、時折、遠藤の生物プログラムを手伝う任務に就いていた。遠藤の地位の優位性は、オウムが1994年に政府組織を真似た省庁制を設置し 、遠藤が「厚生省大臣」となったことによってさらに強まった。しかしながら土谷は遠藤よりもはるかに高度な技術を持ち、化学物質についてはしばしば、村井や中川の直属として仕事を行った。

土谷は上九一色村の教団本部施設内に小さな実験室を持っていた。…。1993年6月には、小規模な合成化学の実験装置が設置され、それから約1ヶ月足らずで、土谷は少量のサリン (10~20グラム)の製造に成功した。…土谷が少量のサリン製造に成功した後、村井は土谷に対し、サリンを約70トン製造するよう指示した。… 大量の化学物質を作るには、単なる実験室ではなく、製造施設の構築と運用が必要となる。オウム上層部はすぐに、上九一色村にある生物学生産施設の隣に、そのような施設を作ることにした。オウムは主な施設を「サティアン」(サンスクリット語で「真理」を意味する語に由来) と名付け、順に番号を付けていた。この化学工場は第7サティアンとなった。…。1993年9月、第7サティアンの製造施設の完成が宣言された。非常に立派なプラントであり、最終的に100人のオウム信者が採用され、例えば、気密性の保護フード内に、混合と温度制御の機能を備えた30リットルの化学反応フラスコが備えられた。このプラントには、2階分の高さの蒸留カラム、前駆体や中間体のための無数のステンレス貯蔵タンク、5つの化学反応装置、熱交換器、ポンプ、コンピュータ処理制御システムが含まれていた。…のちに国連は、この建物と中の物品にかかった推定費用が3000万ドルと報告している。

1993年11月中頃までに、土谷は600グラムのサリンを製造し、1993年12月には3キログラムまで蓄積され、純度は約90パーセントであった。…これらの作業が行われている間も、土谷は数多くの新しい研究プロジェクトを指示されており、このそれぞれが、サリンの作業と同時に実施されるものであった。1994年秋から1995年3月の地下鉄サリン事件までの間に、土谷は次のような物質を研究用の量、製造したことを記憶している: リゼルギン酸ジエチルアミド (LSD)、ペントタールナトリウム、フェンシクリジン(PCP)、メタアンフェタミン、ソマン (別の化学剤。土谷は約2~3グラム製造した)、GF神経剤、VX神経剤 (数回製造 - 土谷は合計で約200グラム製造した)、火薬、バルビツール酸塩 (フェノバルビタール)、メスカリン、およびアンモニウムと硝酸用の触媒。

警察の強制捜査が迫っていたため、オウム真理教は東京でのテロを実行するのに必要なサリンをかなり急いで作ったようです。

1995年1月1日、上九一色村でサリン化合物が見つかったというニュース記事が広く報道された。…差し迫っている警察の強制捜査で発見されるのを恐れ、教団での上位者が中川に対し、サリン (約20リットルが保管されていた)、VX液剤 (約100~200ミリリットル)、ソマン、麻薬類、およびこれら物質の前駆体を含む、すべての違法化学物質を廃棄するよう命令した。…警察は1995年3月22日にオウム施設の強制捜査を計画していた。オウムは強制捜査が迫っていることを知り、3月18日に、東京の地下鉄襲撃の計画を練った。…土谷はメスカリン製造に関与していたが、3月18日に遠藤から、再びサリン製造を開始するよう言われたという。製造を進めるため、土谷には、中川が隠していたサリン前駆体 (メチルホスホン酸ジフルオリド) が与えられた。土谷はこの前駆体がまだ存在していたことに驚いたが、この化合物を使って、東京の地下鉄襲撃のために6~7リットルのサリン溶液 (溶媒と塩基を含む)を製造した。…。土谷は、合成プロセス中に生成される酸を中和するのに適切な有機塩基がなかったため、有機塩基DEAを代わりに使ったという。…。最後の製造は遠藤の実験室で行われ、土谷はその製造量も濃度も知らなかった。…穴の開いていない袋から得られた茶色の物質 (DEAにより着色) の化学的鑑定分析結果により、サリン (イソプロピルメチルホスホノフルオリデート) 35%、メチルホスホノフルオリデート水素10%、ジイソプロピルホスホノフルオリデート1%、メチルホスホン酸ジイソプロピル0.1%、DEA (有機塩基) 37%、ヘキサン (溶媒)16%が特定された。まとめると、東京の地下鉄襲撃用に急場しのぎで行われたサリン合成プロセス (純度35%) によって製造された化学兵器は、松本サリン事件で使用された混合物 (純度70%) に比べ、効力が半分に過ぎなかった。にもかかわらず、この混合物は威力を発揮した。1995年10月24日の麻原の裁判で検察側が使用した、東京地下鉄サリン事件での当初の死傷者数は、死者11人、負傷者3,796人であり、この数は後に死者13人、負傷者6,252人に増えている。(Center for a New American Security 2012年12月)

 

参考

  1. 【超高学歴】東大・京大・東工大・阪大・早大・慶大等多数 オウム真理教信者の学歴(matome.naver.jp
  2. オウム真理教:洞察 ― テロリスト達はいかにして生物・化学兵器を開発したか(Center for a New American Security 2012年12月 PDF

 

追記(死刑執行の報道)

  1. オウム真理教事件、初めて死刑執行された7人のプロフィール (HUFFPOST 2018年07月06日 13時36分 JST)
  2. オウム真理教 死刑執行された7人 裁判で判明した“恐るべき役割”とは (FNN 2018年7月6日 金曜 午後3:03)
  3. 【オウム松本智津夫死刑囚らの刑執行】ツイッターには「やっぱり」との反応が相次ぐ (2018年07月06日 13時25分 J-CASTニュース) やっぱり平成内決着か――2019年の天皇陛下の生前退位、改元という節目を控え、オウム死刑囚の死刑執行は「平成のうちに」「2018年のうちに」との見立ては広がっていた。中には「6月執行説」も流れていた。2018年7月6日、元教組・麻原彰晃(本名・松本智津夫)死刑囚らの死刑が執行された。… 2019年5月改元のスケジュールに向けて様々な準備が進む中、18年中のオウム死刑囚の執行は「規定路線」との指摘は以前から出ていた。3月にオウム死刑囚の7人が東京拘置所から別の拘置所へ移送されると、「いよいよ執行は近いのか」との反応が高まった。
  4. オウム真理教・松本智津夫死刑囚ら7人の死刑執行 (日本経済新聞2018/7/6 8:56 2018/7/6 12:35更新) 法務省は6日、1995年の地下鉄サリン事件などを起こしたオウム真理教の元代表、松本智津夫死刑囚(麻原彰晃、63)=東京拘置所=と元幹部の計7人の刑を執行した。一連のオウム事件では松本死刑囚のほか、元幹部12人の死刑が確定しているが執行は初めて。 法務省によると、ほかに死刑執行したのはいずれも元幹部の早川紀代秀(68)、中川智正(55)、井上嘉浩(48)、新実智光(54)、遠藤誠一(58)、土谷正実(53)の各死刑囚。7人同時の死刑執行は異例。

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