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シリア考古学会議でハレド・アサド氏を追悼

  2015/12/07    事件

2015年12月3日~6日、レバノンの首都ベイルートでシリア考古学会議(the International Syrian Congress on Archaeology and Cultural Heritage)が開催されました。世界各国から考古学者が集まったこの会議では、今年8月18日にイスラム国(ISIS)に殺害されたハレド・アル・アサド氏に対して黙祷が捧げられました。パルミラ博物館長だったハレド・アル・アサド氏は、工芸品などの貴重な文化財をイスラム国の手から守るために安全な場所に移動させており、尋問されてもその場所を明かさなかったために殺害されました。 ハレド・アサド氏は身に迫る危険を知りつつもパルミラに残ることを選びました。 ISIS beheads scholar archaeologist Khaled al-As’ad in Palmyra 古代ペルシャの町を紹介したドキュメンタリー番組(41:07- Palmyra)。 ANCIENT CIVILIZATIONS Ancient Persia and Arabian Peninsula History Documentary 参考 Profile: Khaled al-Asaad, Syria’s ‘Mr Palmyra’ (BBC NEWS 19 August …

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オレゴン州の大学構内で銃乱射事件 学生と教員の9人が犠牲に

  2015/10/03    事件

2015年10月1日(木)にアメリカ、オレゴン州にあるアムクア・コミュニティ・カレッジ(Umpqua Community College)で一人の男が大学構内で銃を乱射し、学生ら10人が死亡(射殺された犯人一人を含めた人数)したと報道されています。警察との銃撃戦で死亡した犯人は同大学の26歳の学生クリス・ハーパー・マーサー(Chris Harper Mercer)と特定されました。なお、初期の報道は混乱し、死亡者数や犯人の情報が異なって伝えられていたようです。 UCC Oregon Gunman is Chris Harper Mercer, 26, Body Armor, 3 Pistols, Long Gun, Full Ammunition 動機に関しては捜査の進展を待つ必要がありますが、犯人は教室で学生らを並べて立たせ、キリスト教徒かどうかを聞き、キリスト教徒だと答えた人に対しては頭に向けて銃を発射したという情報があります。 “The shooter was lining people up and asking if they were christian. If they said yes, then they …

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「地下鉄サリン事件」から20年 1995年3月20日のオウム真理教による東京での無差別テロ

1995年3月20日の地下鉄サリン事件から20年が経ちました。オウム真理教の教団内でなぜ化学兵器が開発できたのでしょうか?オウム真理教では、東大、京大、阪大、東工大、早大、慶應大、筑波大などの出身者で大学院まで修めたような非常に高学歴な人間も入信しており、教団の幹部になっていました。また、遺伝子工学や有機合成の経験者がテロのための化学兵器、生物兵器の開発を行っていました。 村井秀夫:1958年生まれ。1981年大阪大学物理学科卒業。宇宙物理学分野で卒業研究を行い、天体のX線放射を研究。大阪大学大学院理学研究科修士課程修了、理学修士。1987年、出家僧としてオウムに入信。麻原につぐNo.2の地位にいた。1995年4月23日に東京都港区南青山の教団東京総本部前で刺殺された。 上祐史浩:1962年生まれ。早稲田大学電子通信学科卒業。早稲田大学大学院で電気通信学を専攻。1986年夏、オウムのセミナーに参加。1987年修士号を取得、宇宙開発事業団に就職するが、1ヶ月後に退職しオウムの出家僧に。1992年以降はロシア支部にいたことなどから一連のオウム真理教テロ事件への関与で起訴されることなく、別件で懲役3年の実刑判決を受けた。 早川紀代秀:1949年生まれ。神戸大学卒業、大阪府立大学大学院で農芸工学 (緑地計画) 専攻。1986年、オウムに入信。2009年7月17日、死刑判決が確定。 遠藤誠一:1961年生まれ。帯広畜産大学卒業、京都大学大学院医学研究科大学院生となり、ウイルス研究センターでAIDS関連遺伝子研究に取り組む。1987年オウム入信、1988年には出家僧となる。オウムでは生物兵器開発を担当。2011年11月21日、死刑判決が確定。 中川智正:1962年生まれ。1988年京都府立医科大学卒。1988年オウムに入信。大学卒業後、研修医となったが、1989年に出家し、麻原の主治医となった。2011年11月18日、死刑判決が確定。 土谷正実:1965年生まれ。1989年、オウム真理教の道場 (瞑想の場) に参加。筑波大学では化学 (物理化学と有機化学) 専攻で修士号を取得。1991年に出家。サリン製造で中心的な役割を果たした。2011年2月15日、死刑判決が確定。 なぜ高等教育を受けて科学を学んだ人たちが、麻原 彰晃(本名:松本 智津夫)の教義を信じて、無差別殺人の命令に従い実行したのでしょうか?Center for a New American Securityの報告書を読むと、教団における生物・化学兵器開発研究がどのように行われ、テロに使われたのかをうかがい知ることが出来ます。 オウム真理教内では遠藤誠一がまずボツリヌス菌を用いて生物兵器を作ろうとしましたが、結果的に失敗しています。 1990年2月の選挙敗北と、破滅論アプローチへの回帰の後、麻原は早川、新実、遠藤、村井に対し、ボツリヌス毒素を産生する細菌であるボツリヌス菌(Clostridium botulinum 、C. botulinum)を入手するよう命じた。…遠藤は1990年春、北海道の石狩川流域に行き土壌から細菌を採取した。…この生成物は大量であったけれども意図した効力はなかったことが、さまざまなことからわかる。教団信者たちは、攻撃により誰も死亡しなかったことを知った。実際、ある信者が発酵槽タンクに滑って落ち、おぼれかけたが、発病の徴候は見られなかった。中川は、生成物質の科学的な評価を試みた。2000~3000匹のマウスを購入し、生成物質に曝露させ、およびボツリヌス毒素のマウス検定を用いて、その結果を評価したのである。この試験によりマウスには毒性影響はないことが明らかになったが、一部のマウスは死んだため、ある程度のあいまいさが残ったと中川は考えた。(Center for a New American Security 2012年12月) 遠藤誠一はさらに、炭疽菌で生物兵器を作ろうと試みましたが、やはり、失敗に終わりました。 1992年、遠藤をリーダーとして生物プログラムが再開した。このときは遠藤は炭疽菌 (Bacillus anthracis、B. anthracis) に取り組んだ。…関係者全員が、これがワクチン菌株であることを認識していたのは明らかであった。…Sterne菌株は、2つのプラスミド(pXO1、pXO2) のうちpXO1を有しているがpXO2を欠いている。効果的な毒性を有する炭疽菌を生み出すには、これらが2つとも必要となる。遠藤は、第2の (Pasteur) ワクチン菌株が逆に、第2のプラスミドを保持し第1のプラスミドを取り除かれていることで、致死性を避けながら免疫を提供していることに気がついたのかもしれない。1989年のロシアの科学者による論文で、遠藤は、この2つの良性菌株を両方とも入手すれば、これらを合わせて、両方のプラスミドを含む効力の強い菌株を生成できることを知っていた可能性がある。.. …