理研が研究者の無期雇用枠を拡大へ

読売新聞が報じたところに拠れば、理化学研究所は任期付き研究者を無期雇用に転換する制度を4月から導入することを決めました。PIだけでなく一般の研究者にも適用されるようです。

報道

  1. 理研、終身雇用を4割に…「任期付き」から選抜 (YOMIURI ONLINE 2017年01月08日):”日本最大級の研究機関・理化学研究所(理研)は、60歳の定年まで働ける長期雇用の研究者を、将来的に全体の4割に増やす方針を決めた。”

ネット上の反応

参考

  1. 卓越研究員候補者リスト:”開始初年度(平成28年度)は、849名の申請者(研究者)の内176名が卓越研究員候補者として認定されましたが、各研究機関との雇用調整が完了し、安定した研究環境を得た卓越研究員は83名に留まりました(平成28年10月末現在、下記のサイトより引用)。残りの93名については、今もなお来年度以降の職を得るために雇用調整を続けている状態ですが、未だ状況は不透明です。文部科学省発表によれば、平成29年度にも再度新たな形で各研究機関からポストを募り、雇用調整を行う事が可能とされています。しかし、卓越研究員候補者達が一体どのような研究を行っているのか、どのような人物達なのかについての一般向けの情報提供が行われていないため、各研究機関側としてもポストを提供するための検討材料に乏しいのが現実です。そのため、我々卓越研究員候補者リスト 発起人一同は、研究分野の垣根を越えて協議しながら、まずは卓越研究員候補者自身の氏名・採択課題名等をリスト化して一般公表する事に致しました。”
  2. 拡大する「日本の科学の空洞化」 (NHK NEWS WEB 2016年12月20日):”北森教授が若い研究者の間に「異変」が起きていると感じたのは、今から10年ほど前、博士課程に進んで研究者の道を選ぶ学生が大きく減ったのがきっかけでした。それまでは、毎年、数人が博士課程に進んでいたのが、急に誰もいなくなり、いてもせいぜい1人。大学生から修士課程を経て、これからというところで、就職の道を選ぶ学生が続出し始めたのです。… ことし11月から働く樽井寛さん(46)は、これまで、日本を代表する研究機関で成果を挙げてきましたが、今の立場は「アルバイト」、つまり非正規雇用です。安定したポストを探し続けていますが、なかなか見つからないと言います。…綱渡りな人生です。いい研究をしていても、もし、雇用がなくなると、研究者としての人生が途絶えてしまいます。”  ニュース内で紹介された一部の映像 ⇒
  3. 山形大学有機材料システムフロンティアセンター ニュース2016年12月13日:”山形大学は優秀な若手研究者を支援するため文科省が2016年度から始めた「卓越研究員」に4人が選ばれたと発表した。国立大学では東大(6人)、京大(5人)に次ぐ人数となる。日本経済新聞(東北版)2016年12月13日”
  4. 疲弊する研究現場のリアル 座談会 悪化する研究環境とポスドク若手研究者の無権利 研究者を非正規で使い捨て荒む研究現場、職業として崩壊しつつある研究職、ポスドク若手研究者は育休も産休もなく家族形成すら困難(KOKKO 第3号 November 2015):”一体こんな研究環境をつくって誰が得しているのかが、全然分からない。日本の国としても、研究成果が出ないということを含めて得していないですよね。誰も得する人がいないのに、荒んだ研究環境が続いているというところに絶望感を感じます。私はこういう状況を何とかしなければと言い続けて15年以上になりますが、なかなか明るい兆しが見えないというのが正直なところです。”
  5. 研究者の雇用 任期付(有期雇用)一辺倒から、定年制への揺り戻しの動き [雇用管理] (高井経営労務事務所 高井 利哉(特定社会保険労務士)2015-07-06):”日本で最初に研究者の任期制を取り入れたのは理研とされる。1986年に発足した「国際フロンティア研究システム」が1期5年、最長3期(15年間)までの雇用制度を導入した。世界の優れた研究者が行き交い新しい発想が芽生えるようにと、人材の流動性が議論される背景があった。理研はそれを先取りし、86年に29人を採用した。当時の任期付き研究者の比率は約6%だった。その後、拡大を続けて97年の任期付き研究者は533人と、定年制研究者の472人を上回った。現在では、任期付き研究者は2600~2700人までになり、研究者の9割近くを占める。(7月3日の日本経済新聞)”
  6.  若手研究者 描けぬ未来図増える「任期付き」雇用安定せず 「定年制に移行」理研が検討   ( 日本経済新聞 2015/7/3付    朝刊)  :”大学や公的研究機関で年数を限って雇用する「任期付き研究者」の数が増えている。人材の流動性を高めて組織を活性化する利点がある半面、若手の安定的な雇用を脅かしている弊害も指摘されている。理化学研究所が今春、任期付きから定年制に移行できる制度の検討を開始するなど、改善に向けた動きも出始めた。 大学など日本の研究機関は第2次世界大戦後、職員を定年まで雇う終身雇用制度を取り入れてきた。”
  7. 研究開発システムの改革の推進等による研究開発能力の強化及び研究開発等の効率的推進等に関する法律及び大学の教員等の任期に関する法律の一部を改正する法律の公布について(通知) 25文科科第399号 平成25年12月13日 (文部科学省)
  8. 改正労働契約法で国立大学の非正規雇用はどう変わるか?(「教育・研究系非常勤職員」編)(国立大学職員日記 / 2013-02-12)
  9. ポスドク若手研究者の雇用不安・パワハラ・長時間労働-「うつ病のような状態でいい研究できない」 (すくらむ 2011-10-03)):”一番切実な声は、今現在の職を失うのではないかという不安です。この問題は、雇用の財源自体が不安定で財源自体がいつ途絶えるかわからないという外部的な要因もあれば、もし今進めている研究に行き詰まり、この1年で論文が出なかったら来年の契約があるのだろうか? たとえ口約束で3年任期と言われていても、1年目、2年目で論文が出なかった場合にはどうなってしまうのだろうか?という不安もあります。また、今現在の研究プロジェクトに関しては成果が出せているけれども、プロジェクト終了後に次のポストがあるのかないのかという不安も多くのポスドクが感じています。ポスドクにとって最も大きな関心事の一つは正規雇用ポストの獲得です。(国立環境研究所労働組合「ポスドクアンケート」)”
  10. 労働問題としてのポスドク問題 (5号館を出て 2007年 08月 10日) :”ポスドク1万人計画というのは、その前に重点化された大学院で「需要と無関係に続々生産された行き場のない専門職予備軍」である博士が、とりあえず「失業者」になることを阻止するために考え出された政治的時間稼ぎだったのだと思います。事実、当時そうした議論がありました。とりあえずポスドクとしてでも雇っておかないと、すぐさま「失業博士問題」が浮上するからなんとかしなければならないという、当時の中曽根政権の危機感だったのでしょう。”
  11. 博士の就職難 科学技術の現場で 将来展望見えない (「しんぶん赤旗」2007年6月24日、7月1日掲載):”2006年3月の博士課程卒業者(博士号をとらずに満期退学した人を含む)は、1万5973人。90年の2・7倍に増えています。…首都圏の大学で講師を務める41歳のAさんは今年3月、任期切れのため退職するよう宣告をうけました。…好きで選んだ道です。20本以上の論文を書き、研究実績に自信をもっています。「これほど将来に不安を覚えながら研究を続けることになるとは思わなかった」といいます。同僚の准教授は「彼のような有能な人材の受け皿がないのはよくない」と話します。”
  12. 科学技術政策の変遷(科学技術基本法制定(平成7年)以降)(文部科学省)  平成8(1996)年度  ポストドクター等1万人支援計画 策定
  13. 今更だが大学院重点化について (一大学職員の備忘録 2015年12月26日):”大学院重点化とは、ざっくり言うと「大学院生を大幅に増やす政策」 です。2000年までに大学院定員を倍増させ、国内研究者の養成機関を充実させようという文科省による目標の下、東京大学が1991年に先陣を切りました。文科省の学校基本調査によれば、国公私立大学院在籍者数は、重点化着手前の85年度には69,688人だったのが、20年後の2005年には239,436人と、約3.5倍まで増加し、目標は達成することができました。因みに現在一部の大学では教員は学部でなく研究科所属となっているかと思いますが、それはこの大学院重点化による結果です。しかしこの重点化政策、大きく2つの問題が発生しました。”
  14. 大学院重点化の際に博士後期課程へ進んだ人たちへの支援 (発声練習 2008-03-25)
  15. 大学は、なぜ大学院生を増やしたいのか (5号館を出て 2007年 10月 14日)
  16. 九州大学移転問題・独立行政法人化問題・研究院構想に関する意見交換の広場 大学院の重点化 12校で打ち切り(中日新聞2000/01/29)  :”重点化された大学は、大学院の定員を大幅に増やすとともに、教官一人当たりの予算配分額も約二五%増す恩恵を受けた。教官の所属が変わるだけで、予算が大幅に増えるというおいしい話だったため、各国立大学が重点化を競っていた。”
  17. 東京大学の歴史 (UT-Life) :”1991年(平成3年)からは大学院重点化が始まり、学部での教育より大学院での教育に重きをおくようになりました。1998年(平成10年)には新領域創成科学研究科、2000年(平成12年)には情報学環・学際情報学府が設置されるなど、大学院の組織が数多く整備されています。2004年(平成16年)には、国立大学法人法の制定により「国立大学法人東京大学」となりました。”

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