2001年ノーベル賞受賞 野依良治博士(1938-) 研究の着想

   




光学異性体の片方のみを人工的に合成することは不可能という常識

人間の右手と左手の関係と同様,鏡に映したように対称的な化合物(キラル分子,光学異性体)がある。生物は酵素などを使って有用なキラルだけを巧みに作り分けているが,ふつうの人工合成では両者が半分ずつできてしまう。…一方が薬になっても,もう一方が毒になってしまうことがよくある…典型的な例が1950年代に睡眠薬として開発された「サリドマイド」だ。この物質の右手型は鎮静作用があって有用だが,左手型には奇形を起こす作用がある。工業合成では混合物しか作れないため,妊婦が服用して胎児に障害を起こし,悲惨な薬害を招いた。

19世紀のフランスの化学者パスツールはおよそ150年前,人工合成で別々の型をつくり分けるのは無理だと唱え,こうした“常識”を覆そうと果敢に挑む研究者は1960年代当時もまれだった。

野依氏は1960年代を振り返り,「有用物質の合成は当時,自然界の反応に任せておけばいいという考えが支配的でしたが,それに我慢がならなかった」と回顧している。ノーベル化学賞 信念でつかんだ化学の夢 日経サイエンス  2001年12月号

1966年 最初の不斉合成の触媒を発見

「このときに偶然にみつけた不斉触媒は、銅の原子にキラルな有機分子を配位させた分子です。実は当時、僕は合成を目的に研究をしていたのではなくて、反応の機構を調べていて、偶然見つけたのです。」(ネイチャーインタフェイス野依良治博士ノーベル賞受賞記念インタビュー)

In 1966, when I was in H. Nozaki’s laboratory at Kyoto, we discovered the first
example of asymmetric catalysis using a structurally well-defined chiral transition
metal complex[8]. This finding resulted from research done for an entirely
different purpose which was to elucidate the mechanism of carbene
reactions. (Nobel Lecture, December 8, 2001 by RYOJI NOYORI)

「この発見はほとんど評価されませんでしたね。その理由はふたつあります。ひとつ目は、反応機構が一般的でない特殊な反応だったこと。ふたつ目は、右と左の識別が55:45にすぎなかったことです。50:50から少しふれたけれどもそれはプラクティカルではなかった。原理はみつけたけれど、物質としてはゴミみたいなものだったわけです。そこで僕はこのふたつの反省を活かそうと考えました。つまり一般性の高い反応を作り、さらにうんと識別のよい触媒を作ろうとしたのです。」(ネイチャーインタフェイス野依良治博士ノーベル賞受賞記念インタビュー)

 1980年 不斉触媒BINAPの開発に成功

「不斉合成の触媒は、金属原子を有機化合物に配位させた形にデザインします。触媒となる有機化合物BINAPは六角形ばかりでできていて非常にシンプル、かつ美しい。…ついに七八年、BINAPを作れるようになり、八〇年にアメリカの学会誌に発表することができました。」(ネイチャーインタフェイス野依良治博士ノーベル賞受賞記念インタビュー)

In 1980, six years after the start, thanks to the unswerving efforts of my young associates, we published our first work on asymmetric synthesis of amino acids of high enantiomeric purity, up to 100% ee, together with the X-ray crystalline structure of a cationic BINAP–Rh(norbornadiene) complex. (Nobel Lecture, December 8, 2001 by RYOJI NOYORI)

1986年 ロジウム錯体からルテニウム錯体へ

「ある程度の予測をもって、一九八六年RhからRuに換えたのです。これは大ブレークスルーをもたらしましたね。Ruにしたら炭素の二重結合に使えるように なり、そしてさらに重要なのが、炭素―酸素の二重結合に使えてキラルなアルコールができるようになったのです。これによって医薬品の開発に大きく貢献する ことができました。」(ネイチャーインタフェイス野依良治博士ノーベル賞受賞記念インタビュー)

A major breakthrough occurred when we devised the BINAP–Ru(II) dicarboxylate
complexes in 1986. (Nobel Lecture, December 8, 2001 by RYOJI NOYORI)

参考

  1. Nobel Lecture by Ryoji Noyori (47 minutes):ノーベル賞受賞記念講演動画
  2. A. Miyashita, A. Yasuda, H. Takaya, K. Toriumi, T. Ito, T. Souchi, R. Noyori. Synthesis of 2,2′-bis(diphenylphosphino)-1,1′-binaphthyl (BINAP), an atropisomeric chiral bis(triaryl)phosphine, and its use in the rhodium(I)-catalyzed asymmetric hydrogenation of .alpha.-(acylamino)acrylic acids. J. Am.Chem. Soc. 1980, 102, 7932.
  3. 「高機能性金属錯体の設計と応用」 配分額:総額 1600千円、研究種目:特定研究、研究期間:1985年度~1986年度   代表者:野依 良治 名大・理学部・教授 :”いわゆる生体関連物質においては二種の光学異性体のうち一方だけが目的とする有効な活性を示すことが多い。生物ないし生物化学的手法の利用とともに、優れたエナンチオ選択的反応の開拓は学術的および実社会的要請から焦点の一つとなっている。とくに微量の金属錯体触媒の化学機能を利用する不斉触媒反応はこの観点から理想的なプロセスと言える。本研究では、化学反応において高度な三次元空間識別機能をもつ典型元素化合物、遷移元素錯体の合理的設計とその還元機能開拓に問題をしぼり、全く新しい概念と方法論をもって目的を達成した。以下、具体的に述べる。1.配位子あるいは修飾剤には、【C_2】対称群に属する軸性キラリティー分子の構造化学的特徴を活用し、中心金属にはロジウム,ルテニウム,アルミニウムを用いて、高いキラリティー認識能を有する金属錯体の設計を行ないその合成を実現した。具体的には、ビナフチル基を有するジホスフィン(BINAP)の新合成法を確立し、そのロジウムおよびルテニウム錯体の合成と構造解析を行った。同錯体を用いるα-アシルアミノアクリル酸,アリルアルコール,エナミド類の触媒的不斉水素化反応とアリルアミンの不斉-1,3-水素移動反応に成功した。1,3-水素移動に関して新しい反応機構を見出した。 2.光学活性ビナフトール修飾アルミニウムヒドリド錯体(BINAL-H)による各種カルボニル化合物の高選択的不斉還元に成功し、その一般性の確立と反応機構の考察を行なった。 3.上記錯体を用いて、プロスタグランジン,各種テルペン,アミノ酸誘導体,イソキノリンアルカロイドの合成に成功した。本研究費は目的達成のために必要不可欠な反応試剤,重溶媒,化合物資材の購入に有効に活用した。本研究補助金により所期の目的は完全に達成されたことを報告したい。” (科学研究費助成事業データベース 研究課題番号:61211013 研究概要(最新報告))
  4. 「高機能性金属錯体の設計と応用」 配分額:総額1700千円、研究種目:特定研究、研究期間:1985年度、研究代表者:野依良治 名古屋大学・理・教授 :”有用物質の効果的供給を本来の使命とする化学合成においては、各単位反応の高選択性の獲得の重要性は言をまたない。いわゆる生体関連物質においては二種の光学異性体のうち一方だけが目的とする有効な活性を示すことが多い。古典的なラセミ体の光学分割は一般的には賢明な方法とは言い難い。発酵法、固定化酵素法などの生物化学的手法の利用とともに優れたエナンチオ選択的反応の開拓は、学術的および実際社会的要請から必要不可欠となっている。金属錯体は典型的な分子機能体であり、様々な組織構造が可能であるが、中心金属に有機配位子分子、イオン等が調和してはじめて独特の化学的機能を発揮する。本研究では、方法論的には「【C_2】キラリティーをもつ軸性分子不斉化合物の利用」を、戦略的には「単一活性種によるキラリティー認識」、「分子機能体構造の動的しなやかさ」という従来例をみない独創的な概念を機軸にして、高機能性典型金属および遷移金属錯体の設計と合成に焦点をおき、特にそのエナンチオ選択的還元機能開拓に問題点をしぼり研究を行ってきた。その結果、光学活性ビナフトール修飾アルミニウムヒドリド錯体(BINALH)によるカルボニル化合物類の還元においては従来比類ない高エナンチオ面識別を観察し、その不斉誘導機構の考察とともに、プロスタグランジン合成などへ有効に利用することができた。ロジウム触媒不斉水素化反応の成否の鍵を握る軸性二座配位リン化合物であるビナフチル基を含有するジホスフィン(BINAP)とそのロジウム錯体の合成に成功し、α-アシルアミノ酸類の不斉還元においても極めて高い選択性を獲得することができた。なお本触媒はアリルアミン類の高選択的不斉1.3水素移動にも有効である。本研究費は課題研究推進の原動力ともいえる備品類および消耗品の購入のために有効に使用された。補足部分については本研究室の現有設備を利用した。所期の目的は完全に達成されたことを報告したい。” (科学研究費助成事業データベース 研究課題番号:60219012 研究概要(最新報告))
  5. キラルな金属錯体を触媒とする不斉合成反応(化学と生物 Vol.29,No.5、pp337-344)(PDFリンク)
  6. 鏡像体過剰率(きょうぞうたいかじょうりつ、enantiomeric excess)とはキラルな化合物の光学純度を表す言葉で ee と略される。ee は多い方の物質量から少ない方の物質量を引き、全体の物質量で割った値で表される(多い方の比から少ない方の比を引いても良い)。ラセミ体は2つのエナンチオマーの1:1の混合物であるから、 ee は0%である。(ウィキペディア 鏡像体過剰率)
  7. 有機合成化学特論 キラルホスフィンからBINAPまで 2001ノーベル化学賞を題材に (大学院講義2007 スライド資料PDFリンク)
  8. ノーベル化学賞・野依良治教授の業績(1)(有機化学美術館):鏡像体、不斉炭素、キラル、水素添加、金属触媒、ロジウム
  9. ノーベル化学賞・野依良治教授の業績(2)(有機化学美術館):基質特異性、BINAP、配位子

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