自分が大学院に入ったとき、研究室で先輩たちが取り組んでいる研究テーマのどこが面白いのかほとんど理解できませんでした。後から振り返ってみると、自分が勉強不足でそれらの研究内容や価値が理解できていなかっただけという側面もあったとは思いますが、同時に、やはり自分には全く価値が見出せなかったという自分の感覚が間違っていなかったと思えるものもあります。
日本のトップの大学の研究室であっても、その研究が仮にうまくいったとしてどれくらいインパクトのある論文になるのか(要するに、トップジャーナルに掲載される可能性があるのか)が疑問に思えるようなテーマに取り組んでいる人たちが多々います。目を見張るような研究業績がないと研究者として生き残れないという現実を考えれば、このような小さな研究テーマを5年間一生懸命に取り組むのは、ほとんど自殺行為、人生を棒にふる行為なのではないでしょうか。
海外に留学して、ネイチャー、サイエンス、セルなどにコンスタントに論文を出すラボを見てみると、研究テーマに取り組むときの最初の判断が、全く異なるように思います。そういうラボに集う大学院生やポスドクはトップジャーナルに論文を出すことしか最初から考えていないので、ボスも含めて、小さなテーマをやろうなどとははなっから考えないのです。
同じように5年間もの長い間、大学院生が馬車馬のように働いて、小さな論文ひとつだして研究人生を終わるか、トップジャーナルに出してさらに研究者として飛躍するかの違いは何なのか?なぜ誰もそこをちゃんと議論しないのかが長年、謎でした。大学教授は自分のラボの大きなテーマの一部の小さな内容を大学院生にさせても十分満足でしょうが、大学院生の立場としては、それだと研究者としてのキャリアには不十分という、乖離があります。これは、大学院生にとって、重大な落とし穴です。何しろ、教授も先輩も誰もその落とし穴があることを教えてくれないのです。
イシューからはじめよ 知的生産の「シンプルな本質」 安宅和人 2010年 英治出版
この「イシューからはじめよ」という本に出会って、初めて、言うべきことを言ってくれた本が世に出たと思いました。著者の安宅和人氏(ヤフー)は、これまでにマッキンゼーでコンサルタントとして働き、しかも、神経科学の分野で博士号も取得している方で、書いてある内容は科学研究者にどんぴしゃ当てはまる内容です。
本人が本書の内容を11分のプレゼンにすっきりとまとめた動画があったので、それを紹介します。
TEDxUTokyo – Kazuto Ataka – Issue-driven
イシュー度が低い問題にどれほど見事な解を与えたとしても、それは無価値だよと忠告しています。当たり前すぎて、聴衆は笑っているのですが、実際には、そういうことをやっている人が非常に多いのですと注意を促しています。これって、まさに日本全国の大学院の研究室で日常的に起こっていることではないでしょうか?東大だろうが京大だろうが、変わりません(きっと)。
生産性 = 生み出された価値 / 投資された時間と労力
イシュー:未解決でケリをつけなければならない問題
イシューの重要度:あなたにとってどれくらいその問題解決が重要かということ
解の質:どれほど明快にその問題(クエスチョン)に答えを与えたかということ
参考
- イシューからはじめよ 知的生産の「シンプルな本質」 安宅和人 2010年11月 英治出版