岩田聡 (いわたさとる) 1959.12.6-2015.7.11
岩田聡氏は高校生のとき、ヒューレットパッカード社製のHP-65というプログラム関数電卓でゲームを作っていました。東京工業大学を卒業後、大企業へは就職せず、社員数わずか数名という小さな会社、HAL研究所にプログラマーとして就職し、ゲーム開発を行いました。
任天堂がファミコンを開発した頃から、HAL研究所は任天堂のファミコンのゲーム開発に関与するようになり、両社の関係が構築されました。2000年に岩田氏は任天堂に入社、そしてわずか2年後の2002年には代表取締役社長に抜擢されました。任天堂は1889年創業以来、山内家による同族経営の会社だったことから、この人事は異例中の異例といえます。
2005年のゲームデベロッパーカンファレンスでのプレゼンテーション。冒頭で、「私は名刺の上では会社の社長ですが、頭の中はゲームデベロッパーです。しかし、心の中ではゲーマーなのです。」という名セリフが聞かれます。
Satoru Iwata 2005 GDC Keynote – Part 1
“On my business card, I am a corporate president. In my mind, I am a game developer. But in my heart, I am a gamer. “
参考
- 社長が訊く(任天堂):”任天堂の各ホームページで展開している、さまざまなプロジェクトの経緯や背景を社長自らが開発スタッフに訊くインタビュー企画「社長が訊く」へのリンク集です。 ”
- 岩田聡さんのコンテンツ。(ほぼ日刊イトイ新聞 2015年7月13日)
- 追悼:任天堂 岩田聡社長 HAL研究所の天才新入社員と高校2年生の思い出 by 藤本健(週刊アスキー 2015年7月13日)
- 岩田聡(ウィキペディア)